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01:少年と荒野

 少し離れたところから、見知らぬボーイがパブロを引きながら走ってくる。まだこちらには気づいていないようだ。その様子を見ながら、インクの中でジッと機会を待つ。すると、目をつけていたポイントをボーイが通過した――――
「今だ!」
ユリカは大きな声と共にインク内から飛び出すと、デュアルスイーパー・ポップの銃口から発射される弾をボーイ目がけて撃った。
「うわわっ!」
ボーイはすっかり慌てた様子だ。何とか避けようとするも、足にピンク色のインクが絡まって身動きが取れない。
「いっけー!」
ユリカは叫ぶと、トドメの一発をボーイに命中させた。ユリカの攻撃に耐えかねたのか、腕でアタマを覆っていたボーイはその弾を受けると、ピンク色のインク飛沫を上げて爆散した。
「ユリカちゃん見っけ!」
続いて上空から声がしたと同時に、ユリカの立っている場所だけに影ができる。それを察知したユリカは、すかさず横に跳んだ。次の瞬間、緑色のインクを纏ったダイナモローラーテスラがドガッという大きな音を立てて地面に叩きつけられる。
「ちぇ~、絶対やれると思ったのに」
その重厚な作りのローラーを軽々と持ち上げた、トリコロールラガーを着こなしているボーイ。彼は悔しそうな口調とは裏腹に、何処か楽しそうにユリカを見ていた。
「ふふーん……! さっきレイ君が上にいたのを見てたもんね!」
ユリカは胸を反らして言った。
ここはネギトロ炭坑。現在、ユリカたちはナワバリバトルの真っ最中だ。
「はい、プレゼント!」
ユリカはニコッと笑って言うと、レイ目がけてスプラッシュボムを投げつけた。
「おっと、女の子からの貰い物は嬉しいけど……それはちょっといただけないかな!」
レイはスプラッシュボムを避けると、それが奥の池に落下したのを見てユリカの方へと飛び出した。
「代わりにキルをいただいていくよ!」
レイがクロブチレトロのレンズ越しにウインクをしながら、ダイナモローラーを振り下ろす。ユリカの見る景色は、一瞬にして緑色に染まった。
「一歩後ろに下がれ、その距離なら確定は免れる!」
後方から声がして、ユリカは咄嗟にその指示に従った。ヤコメッシュキャップやラインTなど身体のあちこちに緑インクが付着したものの、確かにユリカはその場に留まることができた。
「ありがと、シンジ君!」
ユリカは振り向いて言った。すると、ステージ端に残ったピンクのインク痕から、イカライダーブラックを着たボーイが姿を現した。
「何とか避けたはいいが、問題はボムのコントロールだな……もう少し手前に置けば牽制としての役割を果たしていたはずだ」
シンジがやや眉間に皺を寄せて言った。ユリカは「あ、そっか……」とちょっぴり気まずくなって呟いた。
「あらあら、意外と苦戦しているみたいじゃない」
そう言うと同時に、サファリハットとマウンテンベリーの目立つガールがレイの隣に下りてきた。
「クレナちゃん……! 丁度いいところに来てくれたよ!」
レイが嬉々として言った。クレナはというと、「アナタがちんたらしてるからじゃない……」と文句垂れて、横目でリネを見ていた。
「もう残り時間もないけど、インク面積も五分五分……つまり……」
ユリカはデュアルスイーパー・ポップを片手で構えた姿勢で言った。
「この場を制した側の勝ちってことだ!」
レイが再びダイナモローラーテスラを持ち上げて、ニヤッと笑った。
束の間、時間が止まったかのようにその場にいる全員が息を潜め、一切の動きを止めた。
「行くよ!」
ユリカは高らかに言うと、デュアルスイーパー・ポップを突き出した。
「待てー!!」
しかし、横から場違いな台詞が聞こえてきて、ユリカは思わず転びそうになった。
「もう! 折角いいところだったのに!」
ユリカはその声の持ち主に向かって大声で文句を言った。
「せめて……せめて最後くらい……!」
だが、そんな悠長なことを言っている場合ではなかった。ユリカの邪魔をしたボーイが、すぐそばの十字型の壁の上から姿を現す。
「この攻撃で、一矢報いる!!」
ボーイは必死の形相でユリカ目がけてパブロを振り回した。まさにそのとき、高速で飛んできたインク弾がボーイを捉える。その一撃に耐え切れなかったボーイはまたしてもユリカの目の前でインクを撒き散らして消え失せた。
突然の出来事を目の当たりにした4人が呆然と突っ立っている間に、試合終了のホイッスルが鳴った。

「ちぇ~、あともう少しだったのに」
イカスツリー下、ロビーの出入口から出てくるなり、アタマの後ろで手を組んだレイが口先を尖らせて言った。
「よく言うよ……僕とサロメに反対側を任せっきりにしてたくせに」
黄緑のアタマ色で、エゾッコパーカーを着た小柄なボーイが呆れ顔でレイを見ながら言った。
「お前もお前で随分と楽しそうだったけどな、マツバ」
マツバと呼ばれたそのボーイの隣に立っている、カモメッシュキャップをピンク色のアタマのボーイ――――サロメが横槍を入れた。
「このあとヒメカちゃんが来るらしいよ。人数も丁度8人だし、みんなでプライベートマッチに行かない?」
ユリカはイカスマホの画面を見ていた目を上げて言った。先ほど話していた3人とシンジ、クレナが頷いた。
「待って……ライトはどこに行ったのかしら?」
クレナが首を傾げて言った。
「ああ、アイツならあそこだ」
シンジがロビー前の隅の方を親指で指し示して言った。そちらを向くと、キャディサンバイザーを水色のアタマに被り、イカノメTを着たボーイが、何やら随分と落ち込んだ様子の、パイロットゴーグルを青いアタマにかけた小さなボーイに目線を合わせて話しかけていた。
「あの子……さっきあたしとシンジ君に突っ込んできたボーイだよね? 確か、パブロを持っていた……」
ユリカたちは2人の様子をさりげなく観察した。やがて小柄なボーイが膝に手をついて喋っていたボーイに向かって顔を上げ、意気揚々とした様子で口を開いて何か言う。そのあとで彼に小さく手を振って、広場の方へと駆け出していった。
「ごめんごめん。待たせちゃったかな」
ライトが右手でアタマを少し掻きながら言った。
「ううん。それより、何かあったの?」
ユリカはライトに聞いた。
「ああ……彼、さっきの試合で1キルも取れなくてひどく気を落としていたみたいでね。ちょっと気になったから話しかけてみたんだ」
ライトがにこやかな表情で言った。
「そしたら、『お兄さん良い人っすね!おかげで元気が出ました!』とかなんとか言って何処かに行っちゃった。ブキもそうだけど、かなりせっかちな子だったよ」
「ほんと、ライトはお人好しだよな~。オレならほっとくぜ、あんな初心者」
ライトの話を聞いて、レイがわざとらしく大声で言った。
「アナタも見習ったらどうなの? スケベ君」
クレナが胸の前で腕を組み、レイを見て言った。
「スケベ君じゃない! オレは男の欲望に忠実なだけだよ、クレナちゃん!」
「だからって公衆の面前で『揉ませてください』は無いだろ……オレでも言わねえぞ、そんなこと」
レイの言葉にサロメがため息をついて言った。ユリカは咳払いをした。
「ごきげんよう。皆さんお揃いの様子ですのね」
ユリカの隣にはいつの間にか黄色いアタマにヤキフグサンバイザー、フクはよもぎポロを着たガールがいた。
「早かったね、ヒメカ」
ライトが相変わらずニコニコとした様子でそのガールに言った。
「今日は元々フクを買うつもりでしたから、先程までブイヤベースにいましたの」
ヒメカが他のガールと比べてやや内側に丸まった自分のイカ足を触りながら言った。
「これで人も集まったな。さっさと行こうぜ」
シンジが言った。
「そうだね。何するかは部屋に入ってから決めようか」
ユリカはそう言うと、ロビー入口扉脇の認証装置にイカスマホをかざした。すると、「ピッ」という音と共に扉が開いた。
「サロメ~、オレがそう言うってことはつまりそれだけ良いおっ……」
「レイ君」
ユリカは隣で喋るレイの方に顔を向けて言った。
「それ以上言うと、デュアルスイーパーの発射口の間のところでシめるよ」
ユリカは半ば急かすようにヒメカをロビー内に入れた。後方からレイの「スミマセンでした……」という声が聞こえた。

それから少しして、ハイカラシティの広場中央。ライトに励ましてもらっていたボーイはまたしても落ち込んでいた。
「あのお兄さんにフレンド申請するの忘れてた……折角のチャンスだったのに……」
ボーイは大きなため息をついた。手に持ったイカスマホには白いカバーが付いており、そこには『ハヤテ』と青いイカ文字で書かれたデザインが施されている。
「そうだ、今からロビーに戻れば、まだ間に合うかも!」
ボーイはポンッと手を叩くと、踵を返して元来た方へと向かった。
「えっと、まずは自己紹介か……自分はハヤテっていいます。さっきはありがとうございました。もしよければフレンドになってもらえませんか……よし、これでいこう」
ハヤテは早足になりながら呟く。途端に誰かと肩がぶつかった。
「あっすみません!」
ハヤテは謝り、立ち止まってそちらを見た。しかしそこには誰もおらず、少し先に黒い見た目のガールがいた。
「あ、あの……!」
ハヤテはそのガールに話しかけようとしたが、すぐに口をつぐんだ。次に、生唾を飲み込んだ。
そのガールはハヤテには気づかず、どんどん路地裏の方へと向かっていく。よくよく見れば黒いのはアタマだけで、ギアはヘッドバンドホワイト、わかばT、キャンバスホワイトの所謂初心者セットだ。
ハヤテの目は遠のいていくその黒いアタマに釘付けになっていた。
――――先日、黒色のインクを使う謎のテロ組織『クロサメ』によってバトロイカがネットワークに攻撃を受け、ハイカラシティナワバリバトルロビーが封鎖されていましたが、複数の民間人の協力によりクロサメの頭領を含めた主要人物らが警察に身柄を拘束されました。現在はナワバリバトルも復旧し、ハイカラシティには事件前の活気が戻りつつあります。
つい最近まで、ハイカラシティにいるイカたちを賑わせていたニュース。何でも、クロサメは全員真っ黒な姿をしており、アタマまでもがその色に染まっていたという。
ガールのアタマの先が見えなくなった瞬間、ハヤテはハッとして後を追いかけた。もし、その話が本当なら、あのガールは一体……。
ハヤテは路地裏の手前まで来たが、既に少女の姿は無かった。念のためそっと路地裏の方も覗いてみたが、スーパーサザエを抱えたボーイが隅の方に座った高身長のウニ男――――ダウニーに何か必死に頼み込んでいるだけで、ガールがそこを通った様子は微塵もない。
「ねえ、さっき……いえ、きっときのせいだわ」
後ろで心配そうな別のガールの声が聞こえる。きっと自分と同じように、あの姿を見たのだろう。ハヤテは必死になって周囲を見回した。
「おかしい……まるで溶けてなくなったみたいだ」
ハヤテは様々な方向に目をやりながら、無意識にロビーの方へと寄っていった。すると、足の先に段差らしきものが当たった。
「うおっと。マンホールか……」
ハヤテは足元を見下ろして言った。古そうな、金網製のマンホールだ。蓋の下は真っ暗で底が見えない。
「でもこのマンホール、すごく古そうでこれだけ中も見えるのに、嫌な臭いがしないな……この下の排水溝はもう使われてないのかな?」
ハヤテはふと顔を上げる。すぐに、ブイヤベース前に別のマンホールを見つけた。
そういえば……ハヤテは口元に手を当てて、思考を巡らせた。どうしてここのマンホールだけ、他のハイカラシティのマンホールと蓋が違うのだろう。どうせなら蓋を変えてしまえばいいのに。仮に使われていないとしても、普通こうして残しておくのもおかしいような……。
――――まるで溶けてなくなったみたいだ。
「え……そんなまさか……」
ハヤテはぎょっとして今一度、足元のマンホールを見た。顔からサーッと血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「もし本当にそうなら早く行かなきゃ……!」
ハヤテは頭を抱えて言うが、寸でのところで思いとどまった。もし、この下が普通の排水溝でそのまま水に落ちたら? 考えただけでも身の毛がよだつ。
「で、でも……オレが行かなきゃ!」
ハヤテは意を決し、一度だけ大きな深呼吸をした。マンホールを見るその顔は怖いのを必死でこらえているようで、目が大きく見開かれている。「よし!」ハヤテは気合を入れるために一言大きく発すると、マンホールの真上でイカ状態になる。そして、金網の隙間から滑るように中へと入っていった。

「うわああああああ!!」
ハヤテはイカ形態のまま、大声で叫びながら暗い穴の中を落ちていく。周囲で空気が唸る。しかし、水の音は聞こえてこなかった。
「あ、光だ!」
ハヤテは落ちていく方向に円い光を見つけた。最初は小さかったその光も、徐々にハヤテの方へと向かってくる。その光に触れる瞬間、ハヤテは思わず身を固くした。
「うわわっ!」
ハヤテは勢いのままに飛び出し、その拍子にヒト形態に戻って前につんのめった。「いたた……」と言いながら後頭部に手を置き、起き上がる。
「ここは……?」
ハヤテは目に飛び込んできた情景を見て、唖然とした。そこはハイカラシティのような活気は一切なく、イカは勿論、動物一匹すら見当たらない。あまりの静けさに、ハヤテは身震いした。
「そうだ、あの女の子を探さなきゃ……」
ハヤテはキョロキョロと周りに目をやりながら、行き先も決めずに歩き出す。すると、すぐ近くに掲示板のようなものを見つけた。
「ん? なになに……」
ハヤテは掲示板に近づき、そこに貼られている幾つかの掲示物を眺めた。写真が多く、説明は少なかったが、どうやら『タコ』に関する資料をまとめたもののようだった。
「『タコ』って……イカの天敵の?」
ハヤテは首を傾げながら、その姿を写した写真数枚を見た。変な顔の2本足の生物が、これまた変わった機械に乗っている。
「なんか……思ってたよりダサいかも……」
ハヤテは苦笑いして呟いた。端の方に目をやると、今度はイカらしき写真と文字が書き込まれた紙が貼られていた。掲示板の隣には、巨大なタコのフィギュアが入ったスノードームのようなものが置かれている。これもまたおかしなことに、両腕にワサビを握って腕を組み、眠っている様子が再現されている。ハヤテはしばらく呆気に取られて見つめていたが、中のタコが僅かに目を開けたような気がして、慌てて掲示板に向き直った。
「こっちのはイカの資料かな? えっと、newカラストンビ部隊隊員1号、2号、それと3号……えっと、プロフィール、ミカン……中々イカしたハイカラガール、出身不明? この字は……」
ハヤテは唸った。少し古い書体らしく、読める箇所とそうでないところがある。
「ん、待てよ……1号と2号の顔、何処かで見たことあるような……」
ハヤテはそこまで言って、口を閉じた。先ほどまでアイロニックレイヤードのバックに照りつけていた陽光の暖かみが、消えている。それどころか、掲示板をよく見ようと少し屈んだハヤテの上に影ができていた。
ハヤテはゴクッと生唾を呑み込んだ。そして、目を見開いたまま、ゆっくりと後方にアタマを向けた。
案の定、ハヤテの真後ろに珍しいギアを身につけたイカが立っていた。ガールと思われるそのイカは無言でハヤテを見下ろしている。
「あ、あはは……」
ハヤテは不自然に口の端を上げながら、真っ先にガールのイカ足に目をやった。それが明るいオレンジ色をしているのを見て、ハヤテは思わずガールに微笑を向けてしまった。
「…………なさい」
ガールが何か言った。その表情、口調からは何か気迫のようなものが放たれており、ハヤテは背筋がゾクッとする感覚を覚えた。
「あ、あの……」
ハヤテがそう言いかけた途端、突然首元を後ろからグイッと引っ張られるような感覚がして、息が詰まった。
「帰りなさい。ここはあなたの来るべき場所ではないわ」
耳元でガールの声がしたと思った瞬間、ハヤテは宙に放り出されていた。地面に転がると、恐る恐るガールを見る。ガールの顔は着ていたジャケットの襟で口元が隠れていたものの、目はハヤテを鋭く射抜いていた。
「す、す、すみませんでした!」
ハヤテは後ずさりしながら、必死になって叫んだ。慌てて後ろを向くと、ここに来るときに入ったマンホールと同じものがあった。ハヤテはイカ形態になり、迷うことなくその中に飛び込んだ。
 
「今日は何時にも増して沢山ナワバリバトルができたね!」
ユリカはうーんと伸びをしながら言った。ロビー入口から、ブイヤベースの奥に沈もうとしている夕日が臨めた。
「それどころか、普段の倍はやったような……明日は筋肉痛になりそうだよ」
マツバが肩に手を置き、軽く回して言った。
「そういえば……結局、サンゴちゃん来なかったな」
レイが肩を落として言った。
「最近はハイカラシティにも滅多に顔を出さなくなったからな。ナワバリバトル以外で何か用事があるんだろ」
シンジが腕を組んだ姿勢で言った。ユリカは少し目を伏せて、イカスツリー下を抜けた左側のところにあるマンホールを見つめた。
――――初めてサンゴちゃんと会ったとき、あそこに……
「ユリカ……?」
突然後ろから話しかけられて、ユリカは飛び上がった。
「サンゴちゃん!」
その姿を見た途端、ユリカの表情はパッと晴れた。
「ごめんなさい。折角誘ってくれたのに、今日も時間通りに行けなくて」
アタマにスタジオヘッドホン、そしてイカホワイトを着たオレンジのガール、サンゴが俯いて言った。いつもはポーカーフェイスのサンゴが目に見えて気を落としているのを見て、ユリカは慌てて首を振った。
「ううん! こうして来てくれただけでも十分嬉しいよ。それより……用事は済んだ?」
ユリカはサンゴの様子を伺いながら、慎重に聞いた。しかし、サンゴが首を横に振ったのを見て、「そっか……」と呟いた。
「で、でも……明日なら、大丈夫よ。……いえ、必ず行くわ」
サンゴが必死な様子で言った。ユリカは少し驚いたが、すぐに微笑んで頷いた。
「そろそろ帰りましょう。暗くならないうちに家に着いた方がいいですわ」
ヒメカが言った。
「そうだね。サンゴ、ユリカ、そろそろ行こう」
ライトが広場からこちらを振り向いて言った。ユリカはすぐにそちらへ行こうとしたが、サンゴがついてこないのを見て、すぐに足を止めた。
「サンゴちゃん……?」
ユリカは首を傾げて呼びかけた。
「私……まだ帰れないの。やり残したことがあるから」
サンゴが居心地悪そうに身をよじって言った。
「わかった。それじゃあ、また明日!」
ユリカは笑いながら、サンゴに手を振った。サンゴもちょっぴり嬉しそうに、小さく手を振り返してくれた。ユリカはもう一度踵を返すと、先を行くイカたちの後ろをついていった。

デカライン高架下近くの中規模マンション。ユリカは自宅に着くと、ブキケースを机に置き、ベッドの脚元に座った。
「今日は疲れたなあ……」
ユリカはそう言うと、大きな欠伸をした。
最近のサンゴちゃん、大丈夫かな。ユリカは膝を折り、抱き寄せた。見るからに元気も無さそうだし、用事のことで上手くいってないのかも。
そういえば……。ユリカはおもむろに天井を見上げた。サンゴちゃんって、あのシオカラーズとも知り合いだったっけ。このことも、その用事と何か関係があるのかな。それとも、また別の……。ユリカはすっと立ち上がると、今度はベッド上へうつ伏せに寝転がった。サンゴの事について考えれば考えるほど、知らないことばかりだということに気づかされた。
何時か、本人の口からそれを聞ける時が来るのだろうか。ユリカは横向きになって、ぼんやりと物思いに耽った。それが、あたしたちで助けてあげられることなら、どれだけ良いことか。しかし、それを知っているのは現状、サンゴのみだ。
「もっとあたしたちを頼ってもいいのに……」
ユリカは不意に口に出して言った。サンゴは典型的なお姉さんタイプのイカだ。しっかりしていて、誰にとっても頼もしい存在。だが、それと同時に甘えることが下手なことに、ユリカは勿論、サンゴを知っている多くのイカたちが気づいていた。
……明日、少しだけでも話を聞いてみようか。ユリカはそんなことをぼんやりと考えながら、しばらくベッドの上で寝返りを繰り返し打っていた。

夜の荒野に、ぼうっと青い光が浮き上がる。同時に、複数の黄緑色の目玉がギョロッと動いてそちらを見る。次の瞬間、青い光は空中に線を描いたかと思うと、目玉は1つ、また1つと飛沫音のようなものを上げて消えていった。
「こちら3号。第二チェックポイントの敵を殲滅。続いて第三、第四チェックポイントに向かいます」
青く光るヒーローヘッズを耳に付けたオレンジ色のガールと思われる後ろ姿が、雲間から覗いた月明かりにうっすらと照らし出された。
『こちら1号、2号! お疲れ様。でも、もう遅いから残りは明日にでも……』
3号の耳元で、戸惑っているような声がした。
「いいえ。今日中に終わらせないと……」
3号はそう言うと、機能していないリスポーン・デバイスに足を踏み入れた。キュイン! という音を立てて、リスポーン・デバイスが起動する。周囲には再び黄緑色の目玉が現れた。
「行くわよ……覚悟しなさい!」
3号は勢いよくリスポーン・デバイスから飛び出し、目玉の1つにヒーローシューターの銃口を向けた。
その瞬間、3号の視界に紫色のインクが入り込んできて、3号の身体に衝撃が走った。

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