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02:巡り合わせ

 人影もまばらなハイカラシティのカフェ。その窓際の席で、ユリカは1人、貧乏揺すりをしていた。昨日とは変わり、ピンクのイカ足をサイドテールにしてある。
「待たせたな」
 先ほど降り出した雨の滴を振り払いながら、シンジがユリカの前に現れた。
「全然。それより……」
 ユリカはそこまで言いかけると、慎重に周囲へと目を配る。
「ここなら問題ないだろう。寧ろ、ある程度騒がしい方が好都合だ」
 シンジが言って、ユリカの正面に座った。
「それじゃあ、やっぱりシンジ君も観たんだね? あのニュース……」
 ユリカは若干早口になって言った。
「ああ。周囲もあれだけうるさくしてんだ、嫌でも耳に入る」
 シンジがぶっきらぼうに言った。
 昨日、ユリカたちがプライベートマッチをしている最中、ハイカラシティに黒いアタマをしたイカが現れた。今朝それをハイカラニュース内で告げたシオカラーズに、心なしか焦りの色が見て取れた。
「シンジ君に心当たりはあるの? つまり……」
 ユリカは単刀直入に聞いた。しかし、それを聞いたシンジは首を振る。
「いいや。目撃者によると初心者ギアを身につけたガールらしいが、オレの知っている中でそんなギアをつけていたヤツはいない。ただ……」
 シンジが口をつぐむと、口元に手を当てた。その姿勢のまま、目線をユリカに合わせ、まるで品定めしているかのようだった。
「……全く宛がないわけでもない」
 沈黙の後、シンジが言った。
「それは、どういうこと?」
 ユリカは少しばかり目を見開いて言った。
「オレは、オレ自身が一から全てを考えてあの計画を実行したわけじゃないんだ。裏にはもう1人、別のが――――つまり、影で組織を支えているヤツがいた」
 シンジの黒い目は、ユリカを見続けている。
「オレにナワバリバトルを掌握しろと言ってきたのもソイツだ。そして、全ての計画がオマエらによって潰されたとき、ソイツは忽然と姿を消した……」
「それからしばらくして、オレがオマエらと行動するようになったとき、そして、オマエが『また、同じようなことがあるかもしれない』と言ったとき、思った。そもそものきっかけを作ったヤツは、オレと同じようにしたのか? ただ1人、逃げるように消えたヤツが……オレには、とてもそうは思えなかった」
 シンジがここまで言うと、目を閉じた。ひどく疲れているようにも見えた。
「じゃあ、シンジ君は……その子がまた、『クロサメ』のときと同じようなことをするかもしれないって、そう考えてるの?」
 ユリカは切羽詰って聞いた。テーブルの上に置かれた拳に、思わず力が入った。
「オレも信じたくはない。でも、あんなことがあってはその可能性も……」
 再び目を開いたシンジがユリカに言いかけたが、途端に鋭い視線を右側へ移す。ユリカもそちらを見た。
「ユリカ、シンジ……」
 そこには、ライト、レイ、ヒメカが困惑した様子で突っ立っていた。
「何時から聞いてた?」
 シンジが恐ろしい程に冷静な口調で3人に問うた。
「あの事件の裏にもう1人いたってところから」
「それじゃ、ほぼ全部ってことだな」
 シンジがそう言うと、ため息をついた。
「シンジ君、いいの……?」
 ユリカが遠慮がちに聞いた。
「遅かれ早かれコイツらも知ることにはなっただろう。その点は気にしていない。しかし、あの事件に関わっていないヒメカについては、想定外だった」
 シンジがアタマを掻いて言った。
「どういうことですの? シンジさんが、ナワバリバトルを掌握……?」
 ヒメカが混乱した様子で言った。
「ヒメカちゃん、その話はここにいる全員でするよ。ただし……他の誰にも言わない約束で」
 レイがヒメカをなだめるように言う。ヒメカはそれから少し黙り込んだ後、「分かりましたわ」と言って頷いた。
「よし、それじゃ……みんなで座れる席を探そう」
 レイがそう言うと、踵を返して歩き始めた。

「ヒメカちゃんは、『クロサメ』という組織を知ってるかな?」
 カフェ奥にあった広めの席に全員が座るなり、ユリカは話を始めた。
「ええ。数ヶ月前にナワバリバトルを運営停止まで追い込んだ、テロ組織のことですわね?」
 ヒメカが言った。
「そう。でも、その後組織は崩壊した……ニュースだと、とある少年少女たちの協力によって、と伝えられていたはず」
 ユリカはゆっくりと説明した。それを聞いたヒメカが頷く。
「実は……その少年少女たちをまとめていたのが、ここにいるユリカちゃんなんだ」
 ユリカの隣に座ったレイが、ヒメカを見て言った。
「そんなことが……それでは、ここにいる皆さんは全員、ユリカさんに協力していた方々、ということですの?」
 ヒメカが驚いた様子で、1人1人を見た。
「……そうだよ。事件のとき、ハコフグ倉庫で戦っていた。でも、全員が全員、ユリカちゃん側についていたわけじゃないんだ」
 レイの隣に座るライトが言った。そして、正面で足を組み、背もたれに寄りかかっているシンジを見る。
「……構うな。続けてくれ」
 シンジが呟くように言った。
「シンジ君は……元組織のボスだったの」
 ユリカは一度深呼吸をしてから、告げた。
「まあ……それは…………」
 ヒメカがそれを聞いた途端、シンジを凝視した。
「ヒメカちゃん、確かにシンジは昔、悪いヤツだったかもしれない。でも今は……」
 レイが必死になって説明する。しかし、ヒメカがそれを制した。
「分かりましたわ。私には……今のシンジさんが悪いことをするような人にはとても見えませんもの。それに、過去は過去。事実を知ったからと言って、今の何かが変わるわけでもありませんわ」
 ヒメカがきっぱりとした口調で言った。ユリカ、レイ、ライトは同時にホッと一息ついた。
「これでいいなら、オレは話を元に戻したいんだが」
 沈黙が続いたところで、シンジが言った。
「あ、そうだった……! えっと、どこまで話してたんだっけ」
 ユリカは気まずそうに頬を掻いて言った。シンジが呆れたように、大きなため息をついた。

 ちぇ~……雨なんて嫌いだ。
 カフェ入口付近、ガラス越しに外の様子を眺めていたハヤテは、心の中で悪態をついた。
「こうなったらすることも無いし……お昼ご飯だけでも食べて帰ろうかな」
 ハヤテはカウンター席から立ち上がると、別の席を探し始めた。雨を見ながら食べるのは、きっと気分が悪くなる。
「うーん……奥の方だったら空いてるかも」
 周囲の席が全て埋まっていることを確認したハヤテは、こことは別にカウンター席があることを思い出して、そちらへと進んでいく。
「あれ、こっちは違うか」
 広めのスペースが取られた団体客用の席を見て、ハヤテはアタマに手を置いた。
「……あ、あった!」
 更にその奥へと目をやる。すると、店の中央付近に空いているカウンター席を見つけた。
 ハヤテはそちらへ、やや早足になりながら向かう。あともう少し……。
 その瞬間、手前の角から水色のボーイが出てくる。ハヤテは危うくぶつかりそうになったが、急ブレーキをかけて何とか止まることができた。
「おっと、ごめんよ」
 そのボーイがハヤテに言うと、道を譲ってくれた。
「こ、こっちこそすみません! 気をつけます……」
 ハヤテがそこまで言って、ボーイの顔を見上げた。そして、思わず目を見開いた。
「……あれ? 君、昨日の…………」
 ボーイも驚いたように言った。
「あ……あああああああああ!!」
 ハヤテは驚きのあまり、ボーイを指差しながら、大声を上げた。

 ユリカたちが一通り話を終え、メニューを決めかねている時。突然、近くで叫び声がした。
「何だ……?」
 レイが身を乗り出して、様子を窺う。ユリカもそれにならった。
「あ、あ、あ…………」
 ユリカたちのすぐそばに、言葉にならない声を発している、青いアタマの小柄なボーイがいた。ボーイがこちらに背を向け、自身の前に立つライトを指差している。
「あれは……昨日のボーイじゃねえか?」
 シンジが眉をつり上げて言った。
「と、とりあえず落ち着こうか? 俺、すぐそこにフレンドたちと席取ってるから、良ければ一緒に……」
 ライトがボーイをなだめるように言うと、ユリカたちを見た。ユリカはボーイを見て少し悩んだ後、渋々頷いた。
「え? あ……ありがとうございます……」
 正気に戻った様子のボーイが腕を下ろして言った。
「次騒いだら、弾き出すからな」
 シンジがイライラした口調で言った。ヒメカをはさんでシンジの反対隣に座ったボーイは「すみません……」と呟いた。
「まさかオマエともう一度会うことになるとはな~」
 レイが頬杖をつきながらぼやいた。
「キミ、名前は?」
 ユリカはこの険悪なムードを打ち切りたくて、わざとにこやかに聞いた。
「自分はハヤテっす! 皆さんは……?」
 ハヤテと名乗ったボーイは、逆にユリカたちへ聞き返してきた。
「あたしはユリカ! こっちがレイ君で、更にその隣に座ってるのがライト君……あと、そっちのボーイはシンジ君で、キミの隣にすわっている子はヒメカちゃんって言うんだよ」
ユリカは尚もニコニコとした様子で、全員を紹介した。
「よろしくっす! あ、そうだ……オレ、実はまだフレンドが出来たことなくて……あの、良かったら申請させてください!」
 ハヤテが目を輝かせて言った。
「う、うん! ちょっと待ってね、準備するから……」
 ユリカは詰まりかけたが、成り行きで承諾した。ブキケースのポケットからイカスマホを取り出すとき、「こんなんだからフレンドがいないんだろ」とシンジが囁いたのが聞こえた。
「それじゃあ私も……よろしくお願いしますわ、ハヤテさん」
 ユリカとハヤテがフレンド承認を行った後、ヒメカが言った。
「俺のもよろしくな。レイとシンジは?」
 ライトが手を差し出して言った。レイとシンジは顔を見合わせたが、観念したようにため息をつくと、それぞれイカスマホをライトに渡した。
「うわぁ……! 皆さん優しい人たちで安心しました! これからよろしくお願いします!」
 ハヤテが無邪気に笑って言った。ハヤテの周りだけ、妙な怠惰感に包まれた。
「どうする? この様子じゃもうあの話はできそうにないぜ」
 レイがユリカの耳元で言った。ユリカは肩をすくめてみせた。
「そういえば、さっきサンゴちゃんから連絡が……」
 ユリカは手にしたイカスマホを見た。
「ユリカ!」
 途端に、聞き覚えのある声がして、ユリカは顔を上げる。ハヤテの後ろには、急いで来たらしいサンゴが立っていた。
「良かった、まだいたのね……メールでも話したとおり、その黒いガールについては私もまだ何も知らなくて……でも、これから少しずつ調べていくつもりよ」
 サンゴがハヤテの隣に座りながら、やや早口に言った。
「それに、まだ『クロサメ』と関わりがあるとも限らないわ。シンジに聞かないと……」
「さ、サンゴちゃん? とりあえず落ち着こう?」
ユリカはサンゴの話を遮って言った。嫌な汗が背を伝った。
「そう……それもそうね……」
 サンゴがそう言うと、深呼吸した。そして、やっと隣に座るハヤテの存在に気づいた。
「あ、えっと……どこかでお会いしました?」
 ハヤテが誤魔化し笑いをして言った。しかし、サンゴは笑うどころか、眉をつり上げた。
「いいえ。そんなはずないわ。それより、どうしてここにいるのかしら?」
 サンゴがつんけんとして言った。
「俺が一緒に座ろうって言ったんだよ。さっきフレンドにもなったし」
 ライトが慌てて言った。サンゴは「なら構わないけど……」というようなことをボソボソと言って、今1度ハヤテを見た。
「やっぱり皆さんも気になってるんですね、そのニュース。実はオレ、たまたま、そのガールをハイカラシティ内で見かけたんですけど……」
 ハヤテが呑気に喋り始める。どうやら、サンゴが言いかけた部分は聞いていなかったらしい。
「おい、オマエ今何て言った?」
 シンジがハヤテを見て言った。
「え? 黒いガールをハイカラシティで見かけたって……」
 ……ん? ユリカは首を傾げた。
「ええええええええええええ!?」
 ユリカとレイが同時に叫んで立ち上がった。
「どこで見たの? どんな感じ? 何か変なことしてなかった?」
ユリカは、仰け反って椅子ごと倒れかけていたハヤテに質問を投げた。
「え、ええと、ハイカラシティの広場っす! なんか急いでるみたいで……あ、そうそう! 路地裏の近くで消えちゃったんですけど、怪しいな~と思ってたマンホールの中に飛び込んだら……」
「その子、何か言ってなかった? 例えば、デンチナマズのこととか……」
 ハヤテの話を遮って、今度はサンゴが質問した。
「ん? そうっすね……特に何も喋ってなかったですよ。オレとその子がぶつかったときも、何も言わないで行っちゃいましたし」
 ハヤテが口元に手を当てて言った。
「これといった手がかり無しか……」
 レイが座り直して言った。ユリカもゆっくりとその場に座った。
「ねえ、さっき何か言いかけてなかった? マンホールがどうって……」
 ライトが聞いた。
「あ、そうっす! 実はですね、路地裏近くにある、金網製のマンホールの下は……」
 ハヤテが話し始めた途端、サンゴが立ち上がった。
「これ以上は話しても無意味よ。あなたの話は何一つ手がかりを掴めないもの」
「おい、その言い方はないだろ」
 サンゴの言葉に、シンジが突っかかる。
「サンゴちゃん、最後まで話を聞いてみようよ……もしかしたら、何か分かるかもしれないよ」
 ユリカはなだめるように言った。サンゴとシンジが睨み合った。
「いいえ、分かるはずがないわ」
「どうしてそう言いきれますの?」
「それは……」
 ヒメカの問いで、サンゴが答えに詰まった。すると、サンゴが突然、踵を返す。
「サンゴちゃん!」
 それに気づいたユリカは立ち上がって、サンゴの前に立ちはだかった。
「ユリカ、どいて頂戴」
 サンゴが強い口調で言った。
「サンゴちゃん、ハヤテ君はあたしたちの質問に答えてくれようとしてるんだよ? それに……最近のサンゴちゃんは様子がおかしいよ。ねえ、ひょっとして何か……」
 ユリカは必死になってサンゴに話しかける。しかし、ユリカが『おかしい』と言った瞬間、サンゴは唇を噛んで、ユリカの脇を通り抜けようとした。
「待って!」
 ユリカは咄嗟にサンゴの左腕を掴む。その瞬間、まるで電撃が走ったかのように、サンゴの腕が痙攣した。
「……っ!」
 サンゴが顔を歪め、もう一方の手でユリカの手を弾いた。ユリカは腕をさするサンゴを見て、息を呑む。
「サ、サンゴちゃん……?」
ユリカはおそるおそるサンゴに話しかけた。
「……私に構わないで!」
 サンゴが言い放った。息を荒げ、瞳孔は爬虫類のように細い。ユリカはショックのあまり、伸ばしかけた手を空中で止めた。だが、今度は別の手が、サンゴの左手首を掴んだ。
「構うなだと? 冗談も程々にしたらどうだ」
 いつの間にか席を立っていたシンジが、サンゴの手首を強く握ったまま言った。
「離して! いい加減にしないと…………っ!?」
 抵抗するサンゴを見かねたのか、シンジが強引に左腕を引く。すると、サンゴがバランスを崩してよろめいた。
「サンゴちゃん!」
 ユリカはそれを見た瞬間、慌てて2人のもとに駆け寄った。倒れかけたサンゴの下にシンジがすかさず、自分の座っていた椅子を蹴って滑り込ませる。力なくそこに座り込んだサンゴの左腕は、未だシンジに握られていた。
「おい! 女の子に乱暴するのは……」
 レイが憤慨して言った。
「コイツも女に暴力を振るっただろ」
 シンジがサンゴを見たまま言った。ユリカは思わず、サンゴに叩かれて赤くなった自分の手を見た。
「シンジさん、一体何を……?」
 ヒメカが聞いた。
「つまり、こういうことだ」
 シンジがそう言うと、サンゴが着ているイカホワイトの左袖を捲った。それを見て、その場にいる全員が息を呑んだ。
「酷い……」
 そばまで寄ってきたライトが、サンゴを見下ろして言った。その二の腕には、大きな青紫色の痣があった。
「どうしてこんな怪我を……?」
 ユリカは屈んで、憔悴しきった様子のサンゴに聞いた。サンゴは俯いたまま、何も言わない。
「おそらく、他色インクの攻撃……それも、強力なやつを受けたんだろう。周囲の斑点はインクを長時間落とさなかったときにできるものだ」
 シンジが言った。
「でも、そんなこと……普通のナワバリバトルじゃありえないだろ? ましてや、サンゴちゃんは最近全くと言っていいほどマッチングしてないんだぜ?」
 ユリカと同じように屈んで様子を見ていたレイが言った。
「ノーデスでも3分、もしくは5分間で半強制的にリスポーン地へ転送……つまり、ダメージリセットをされる場合ならな。だが、コイツのはダメージリセットされることなく、こうして残った。しかも、この痣……憶測だが、通常のインクのものじゃない。これで分かっただろ?」
 シンジがそう言って、ユリカを見た。ユリカは静かに頷き、姿勢を戻した。
「ええと、あの……もしかしなくてもオレ、何か悪いことを……」
 後ろの方で、消え入るようなハヤテの声がした。
「ハヤテ君。さっきの話の続きをしてくれないかな?」
 ユリカはサンゴを見下ろしたまま言う。サンゴが懇願するようにユリカを見上げた。
「あたしは……サンゴちゃんのことを知りたい。あの事件に関わった人としてではなく、1人の友達として」

「ここっす! ここから、その荒野に行きました!」
 雨が止んでも尚水たまりは残っている、ハイカラシティ広場のアスファルト。ハヤテはロビー付近、ゴミ箱の手前にあるマンホールを指差して言った。
「見た目はただの古いマンホールだね……でも、この穴ならすり抜けられそう」
 ユリカは金網で蓋をされたマンホールの前にしゃがんで、周囲をくまなく調べた。
「ユリカ……」
「止めないでね。これはあたしが決めたことなんだから」
 後ろでサンゴの声がして、ユリカは振り返った。
「……分かったわ」
 少しして、サンゴが言った。ユリカは頷くと、サンゴに向かって微笑んでみせた。
「勿論、オレたちも行くぜ!」
 レイがユリカの隣に来て言った。背中には身の丈ほどに大きいブキケースを背負っている。その後ろから、ライトとヒメカも顔を出した。
「オッケー。その荒野のことを知っているサンゴちゃんとハヤテ君もついてくるとして……シンジ君は?」
 ユリカはサンゴの隣にいるシンジに聞いた。
「オレはこっちに残る。もしかしたら、その黒いガールがまた現れるかもしれねえ」
 シンジが言った。
「うん。それじゃあ行くよ……」
 ユリカはマンホールに手を置いて、一度深呼吸する。次の瞬間、イカ形態になると、マンホールに飛び込んだ。
 空を切って落ちていく。奥に目をやると、すぐに光が見えてきた。
「ここが……」
 ユリカは光の中へ飛び出すと、瞬時にヒト形態へと戻る。ユリカの足元には、入口と同じようなマンホールがあった。
「昨夜は随分と無理をしたようじゃの、3号」
 聞き覚えのない声がして、ユリカは思わず飛び上がった。
「……ん?」
 その疑問符と共に、1人の老イカがユリカの前にやってきた。ユリカは老イカの姿をまじまじと見つめた。
「うわっ!」
「いてぇっ!」
 ユリカが老イカに話しかけようとしたとき、突然背中を強く押され、ユリカは素っ頓狂な声を上げた。マンホールの前に転んだ後、振り向くと、レイが目を瞑ってアタマを抑えていた。
「ごめん! レイ君……」
 ユリカは謝りかけたが、その直後、マンホールを通ってきたハヤテとまだマンホール上にいたレイが再び衝突したのを見て目を逸らした。
「うう、一体何だ……?」
「いてて……あ、危ないっすよレイさん!」
 目を回して仰向けに倒れているレイにハヤテが慌てて言うと、トリコロールラガーの裾を強く引っ張る。間一髪、次にやってきたライトとはぶつからずに済んだ。
「大丈夫かい?」
 ライトがユリカに言うと、手を差し出した。
「ありがと」
ユリカはその手を掴んで立ち上がると、ラインTホワイトについた砂埃を軽く払った。
「おヌシら、どうしてここに来たんじゃ?」
 老イカが首を傾げて聞いてきた。ユリカは口を開きかけたが、何をどう説明していいか分からなかった。
「事情は私から話すわ、アタリメ司令」
 後方からサンゴがやってきて、ユリカの隣に立った。
「司令? ……なんか、軍隊みたいな言い方だな」
 レイがボソッと呟くのが聞こえた。
「彼女らは私のフレンド。そして、あそこにいる青いアタマの彼は……昨日、とある理由でここを訪れたの」
 サンゴが淡々と説明を始める。
「彼は例の黒いガールの目撃者で、ここにガールが入っていくのを見たらしいわ。そのときは私が追い出したことで何とかなったけれど……」
「あああああああああああ!!」
 サンゴの話を妨げる大声がして、全員そちらを見た。
「思い出した! あなた、昨日の怖いお姉さんじゃないっすか!」
 ハヤテがサンゴを指差して言った。今度は皆の視線がサンゴに集中した。
「……怖いかどうかはさておき、そうよ。さっきは嘘をついて悪かったわね」
 サンゴがハヤテに言うと、アタリメ司令へ向き直った。
「結局、彼がきっかけでフレンドたちにここを知られてしまったことは、そこまで想定することが出来なかった私のミスよ。ごめんなさい」
 サンゴが謝ったとき、アタリメ司令がまた首を傾げた。
「別に構わんよ。3号の友達と言うからには、悪いコたちではないのじゃろう? それに、ワシはここに誰も連れてくるなとは一言も言った覚えはないがの……はて、どうじゃったかな?」
 アタリメ司令が聞いた。
「そ、それはそうだけど……でも、ここは危険だし、知り合いだからってそう安々と入れてしまったら…………」
 サンゴがどもりながら言った。
「サンゴちゃん、あたしたち、聞きたいことが沢山あるんだけど、いいかな……まず、ここは何ていう場所なの?」
 ユリカは横からサンゴの顔を覗き見て言った。
「……ここは『タコツボバレー』。私たちインクリングと、その天敵であるオクタリアン――――つまり、タコとの世界を繋いでいる場所よ」
 サンゴがユリカの方を振り向くと、そう答えた。
「タコだって?」
 レイが眉をつり上げて言った。
「そんな場所で、サンゴさんは何をしていましたの?」
 マンホールのそばにいたヒメカが続けて聞いた。
「3号はの、ここで時にタコ共を監視し、またある時にはタコの世界からデンチナマズを奪還する任務に就いておるんじゃよ。NEWカラストンビ部隊隊員の1人としてな」
 アタリメ司令が言った。
「待って、デンチナマズ奪還ってことは……」
 ユリカはハッとして言った。
「……過去に『オオデンチナマズ』が消えたとき、それをイカスツリーへ戻したのも、私とその先輩である1号、2号よ」
 サンゴが顔を逸らして言った。その後、アタリメ司令を除く全員が「えー!?」と大声を上げた。
「あの強さだし、正直常人じゃないとは思ってたけど……まさかヒーローだったなんて……」
 ライトが恐れ入ったという様子で言った。
「そんな大したものじゃないわ。成り行きで始めたことだし、私のウデマエの大半はガチマッチで身につけたものよ。タコとは殆ど関係ない」
サンゴが吐き捨てるように言った。
「じゃあ、サンゴっていうのは……」
「いいえ、それはあなたが聞き間違えただけ。私は最初からちゃんと『3号』って言ったわよ」
「えっ」
 サンゴに指摘されて、ユリカは思わず顔を赤らめた。
「だ、だって! 普通だったら『3号』なんて名前の子いないもん!」
「私だって、もしかしたら聞き返されるかもしれないと思ったわよ。そしたらあなたたちが『サンゴ』って呼び出して……わざわざイカリングの登録名まで変えることになるとは考えてもみなかったわ」
 ユリカの反論に、サンゴも負けじと言い返す。その顔も若干ながら朱色を帯びていた。
「名前間違えたのもアレだけど、サンゴさんはもしかしてその名前意外と気に入ってるんじゃ……」
 ハヤテがボソッと呟いた瞬間、ユリカとサンゴがものすごい形相でそちらを見る。すかさず、レイとライトの手がハヤテの口を抑えた。
「と、とにかく、これでサンゴちゃんがたまにいなくなっちゃう理由が分かったな。でも、黒いガールとここって何の関係があるんだ?」
 藻掻くハヤテを他所に、レイが聞いた。
「それは私たちも探している最中よ。でも、そのガールがタコと何らかの関係を持っていることは、ほぼ間違いないわ」
 サンゴが気を取り直して言った。
「デンチナマズを奪還しているということは、サンゴさんはオクタリアンの世界によく行くってことですわよね。私たちも一緒に行って、何か情報を掴むというのは……」
 ヒメカが提案した。しかし、サンゴは首を横に振る。
「駄目よ。タコが使うインクは、私たちのそれとは異なるの。対抗するためには専用のギアとブキ――――通称『ヒーローシリーズ』が必要になるわ」
 サンゴの話を聞いて、皆が俯いた。
「で、でも……あたしたちはあの黒インクにも対抗できたし、あの時とは違って強くも……」
「確かに、黒インクとタコのインクには似通う点が多くある。でもだからと言って、余計に安全が保証されないわ。それに、相手はどんどん強くなってる……」
 サンゴがユリカを制して言った後、自分の左腕を触った。
「今回はこれだけで済んでラッキーだったのかもしれない。もしここにいる全員であちら側へ行って、誰かがキルされずに捕まったりでもしたら……考えただけでも恐ろしいわ」
 サンゴはそこまで言うと、皆からの視線を避けるように踵を返した。
「……私から、これ以上話すことはないわ。ハイカラシティへ帰りましょう」
 しばらく沈黙が続いた後、サンゴが言った。ユリカは顔を上げ、何か言おうとするが、言葉が喉元に引っかかって出てこない。そこで前を行こうとするサンゴの肩に手を伸ばしかけたが、その悲しそうな表情を見て、仕方なく後ろに従った。

 ユリカたちをハイカラシティへ送ってから、サンゴは再びタコツボバレーへと戻っていった。それからしばらくは皆ロビー前に佇み、時折マンホールを見てはため息をついていた。
「やっぱり納得いかないよなあ」
 レイが空を仰いで言った。
「レイ君……」
「だってよー、なんでサンゴちゃんだけ危険な目に遭わなきゃいけないんだ?」
 レイが口を開きかけたユリカを見て言った。
「大体、あのジイさんもジイさんだぜ。大変なことを全部1人に押し付けちゃってさ。か弱い女の子がどれだけ辛い思いをしてることか……」
「多分サンゴさんはか弱いどころか図太いと思うっすけど……」
 ハヤテが苦笑して言ったが、レイに睨まれて黙り込んだ。
「待ってください。サンゴさんは確か、1号さんと2号さんがいらっしゃるとも言ってましたわよね? ということは、必ずしも1人で戦っているわけではないのでは……?」
 ヒメカが思い出したように言った。
「ううん、彼女たちは昼間忙しいから、サンゴちゃんは個人で戦っていると思うよ」
 ユリカは頭を振った。皆、首を傾げてユリカを見る。
「でも、こうなったら……イチかバチか、その1号と2号に話を聞くしかないよ」
 ユリカは肩をすくめて言った。

 ユリカたちがタコツボバレーを去ってからしばらく経った。周囲はすっかり闇に覆われ、サンゴは月明かりとヒーロースーツから発生しているぼんやりとした光だけを頼りに、マンホールの近くを歩き回っていた。
「次の作戦は……いいえ、やはり私が……」
 独り言を呟きつつ、足元に転がっていた石を蹴飛ばす。石ころは闇に吸い込まれ、見えなくなった。
「まさか、あのマンホール下がこんなところに繋がっていたとはな」
 不意に声がして、サンゴは反射的にそちらを振り向いた。
「なぁ、なんでこんな悪趣味なモン置いてるんだ?」
「……何の用かしら」
 サンゴは声を押し殺して聞いた。薄暗い中に浮かび上がったシンジが、『眠れるタコ』のスノードームの前に立って、こちらを見ていた。
「オマエがどうしてアイツらをここから遠ざけようとしてるのか、気になった。それだけだ」
サンゴの問いを無視して、シンジが聞いてきた。
「危険だからよ。ここはバトロイカに管理されたナワバリバトルと違って、完全な無法地帯。敵の数は計り知れない上に、多くのことが謎に包まれている。そんな場所にフレンドを連れて行きたいと思う人が、何処にいるの?」
 サンゴは強気な口調で言い放った。シンジはと言うと、それを聞いて大きく息を吐いた。
「それはオマエも同じだろ。アイツらと比べてウデはあるとは言え……そんなところじゃ、オマエみたいなルールを厳守するヤツが1人で全てをこなせるとは思えねえ」
「…………」
そんなことは、私が一番分かっている。でも……。
 しかし、サンゴが反論をする前に、シンジは踵を返した。
「ま、オマエの気持ちが分からんでもないからな。これ以上は追求しねぇし、もうここには来ねえようにするさ」
 シンジがニヤッと笑って言っているような気がした。
「だが……アイツらはアイツらだ。例えオマエやオレが止めたところで……特にユリカは、それで引き下がるとは思えねぇがな」
 シンジはそれだけ言うと、マンホール上から姿を消した。1人残されたサンゴは唇を噛み、拳を震わせていた。

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