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04:『ヒーロー』の心

「え?」
 ハヤテはユリカの声を聞いて、顔を向けた。
 ユリカが目を見開いて自分を見ているのが視界に入ったとき、何やら強い力で後ろから引っ張られるのを感じた。
「いてっ! 何だ……っ?」
 近くの段差に転がり落ちたハヤテは素っ頓狂な声を上げたが、すぐに手が伸びてきて口元を抑えられた。
「静かにしなさい。でないと敵に見つかるわよ」
 ハヤテの後ろにいたのは、ヒーロースーツ一式に身を包んだサンゴだった。
「さ、サンゴさん!? よかった、無事で……みんなで探してたっすよ!」
 ハヤテはサンゴの手を押しのけて、嬉しそうに言った。しかし、サンゴが睨んでいるのを見て、すぐに口を閉じた。
「……どうしてあなたたちがここに来たのかは後で詳しく聞くことにするわ。まずは、ここから抜け出すわよ」
 サンゴが段差の方へ身を寄せると、そこからタコの様子を盗み見た。
「で、でもどうやって……?」
「あら、意外と簡単よ」
 ハヤテは心配になって聞いたが、サンゴは相変わらず飄々とした態度で答える。サンゴの背負ったインクタンクから、スプラッシュボムが取り出された。
「タコはね、警戒心がとても強いの。だから……」
 サンゴが何でもないような様子で説明しながら、紫色の地面にボムを投げ入れる。すると、隠れていたタコたちが一斉に姿を現し、ボムに向かって弾を撃ち始めたり、慌てて逃げ惑ったりした。
「こうすれば、隙をついて倒せるし、逃げもできるってこと。パブロならサブウェポンは『スプリンクラー』で尚更、囮性能も高いわ」
 サンゴがハヤテの持つフデ型のブキを指差して言った。
「後は分かるわね? それとも、もっと分かりやすいように説明した方がいいかしら?」
 サンゴがそう言うと、ハヤテをジッと見つめた。
「大丈夫っす! バッチリ分かりました!」
 ハヤテはグッと拳を胸元に持ってきて言う。緊張からか、その手は若干汗ばんでいた。
「それじゃあ……行くわよ!」
 サンゴが言うと、今度はチェイスボムを取り出して、段差上に投げ込んだ。

「見て、あそこ!」
 ユリカは今しがたタコたちの前を通過した黒いチェイスボムを指差して言った。
「あれは……間違いない、3号のやけんね!」
 ホタルが頷いた。
「合流しよう!」
 レイがそう言うと、ダイナモローラーテスラを大きく振りかぶって、前方にインクをぶちまけた。皆その中をイカ形態になって進む。近くにセンプクしていたタコたちが浮き彫りになり、慌てて周囲を塗り返し始めた。
「それっ!」
 ライトがその内の一匹を撃ち抜く。他のイカたちも的確にインクを当て、タコたちを蹴散らしていった。すると、左の方から何かが飛んできて、タコスナイパーがいる高台の壁に張り付いた。
「スプリンクラー……! 今の内に!」
 アオリがそう言うと、近くの段差を飛び降りた。ユリカたちもそれに続く。タコたちはと言うと、絶妙な位置に付けられたスプリンクラーを処理しようと躍起になっていた。
「サンゴちゃん!」
 ユリカはその姿を見るなり、喜びの声を上げた。しかし、サンゴは目をそらす。
「……来てしまったのね」
 サンゴは俯いて言った。
「ごめん。でも……やっぱりほうっておけないよ。だって、サンゴちゃんは……」
「分からないの」
 ユリカの話を遮って、サンゴが言った。
「私、分からない……最初は本気であなたたちをここから遠ざけようとしてた。でも、今こうして会って、内心何処かで安心してしまっているのよ。皆が危険な目に遭ってしまっていたかもしれないのに……ねぇ、これって可笑しい事なの?」
 サンゴが震える声で、その場にいる全員に問うた。
「いいや。寧ろ、それが普通だよ」
 レイが言った。
「それだけ、サンゴちゃん自身が追い込まれてたんだ。だから……もう、やめにしようぜ? 1人で全部何とかしようとするのを」
 レイの言葉を聞いて、サンゴが顔を上げた。
「……皆を……頼ってもいいの?」
 サンゴがアオリとホタルを見る。
「アンタ、ハイカラシティに来たばかりのときから、ずっとアタシらと一緒にいたやろ? ほんじゃ、この子らともそうしていけばいいんじゃない?」
「3号がみんなを守りたかったように、みんなだって3号を守りたいんだよ。だったら、それでいいじゃん!」
 2人がそう言って、サンゴに笑いかけた。ユリカたちも、優しく微笑みかける。それを見たサンゴの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、子供じゃないのに……な、情けないわ」
 サンゴが必死に涙を拭いながら言う。
「いいんだよ、サンゴちゃん。……すごく、辛かったんだよね? 通信機の声を聞いてそう思ったんだ……本当にギリギリまで追い込まれて、けれど、助けなんて呼べなくて。……ナワバリバトルだって、そういうときがあるでしょ? でも、そんなときこそ1人で何とかしようとしちゃダメだよ。だって、そこには敵もいるけど、味方だって必ずいるはずなんだ」
 ユリカは手を差し出して言った。
「だから……これからは、あたしたちのことも頼って。あたしたちも今まで通り、サンゴちゃんをフレンドとして頼っていくから。ね?」
 ユリカの手を、サンゴがそっと掴んだ。
「わ、私……怖かったの。もし、皆が私の正体を知ったらどう思うだろうって……そ、その上で、皆がタコたちに攫われるようなことがあったらどうしようって」
 サンゴが泣きじゃくって言った。
「それは、サンゴだって同じだろ? 今回なんて、本当にタコたちに連れ去られていたかもしれないのに」
「私たちも、サンゴさんが突然いなくなったりしたらとても悲しいですわ」
 ライトとヒメカが言った。
「そ、そうね……私、み、皆がフレンドで本当に良かった……ありがとう……」
 サンゴが空いた手で涙を拭うと、くしゃくしゃになった笑みを見せた。ユリカも少しだけ、目頭が熱くなるのを感じた。
「あ、あの……すごくいいところ邪魔して悪いんですけど……」
 ハヤテがサンゴとユリカの間に立って言った。
「何?」
 サンゴが笑ったまま、目を擦って言った。
「あっち……もう、タコたち来てるっす」
 ハヤテがユリカの後方を指差して、おそるおそる言った。ユリカたちが振り向くと、段差のところにタコたちが密集し、機械のインク発射口をこちらに向けていた。
「何でもっと早く言わなかったんだい!?」
 ライトが叫びながらもスプラスコープをタコの方に向ける。しかし、チャージまで到底間に合いそうにもない。
「伏せて!」
 ホタルがそう言った瞬間、密集度の高いオレンジインクがタコたちに襲いかかった。
「折角女の子がいい話してるってのに……ちょっとは空気読めよ!!」
 タコにインクを振りかけたのはレイだった。一箇所に集中していたタコたちは、ダイナモローラーテスラから放たれる巨大なインク飛沫に巻き込まれていく。レイがブキを下ろした頃には、その大多数が爆散して姿を消していた。
「な、ナイス!」
 アオリが驚愕しながらも、嬉しそうに声を上げた。
「ふぅ。あ、そういえば……さっきからシオカラーズの2人に言おうと思って言ってなかったことがあるんですけど……」
レイが爽やかな笑顔をシオカラーズに向けた。
「全部終わったらでいいんで、おっぱい揉ませ……」
 レイが言い終わる前に、ユリカはデュアルスイーパー・ポップの銃口が2つに分かれた間のところでレイの喉元を捉えた。
「レイ君、次それ言ったらシールドギロチンするからね?」
「ず、ずみまぜんでじだ……」
 少しの間はシめていたが、やがて周囲の目線を集めていることに気づいたユリカは、咳払いをしてからレイを解放した。
「と、とにかく……一度帰りましょう。作戦を実行するにも、体勢を整えないと……」
 妙な空気に包まれた中、サンゴが慌てて提案した。皆も口々に「そうだね」と言い始めたが、どうしてか口の端が僅かに上がっているようにも見えた。
「ほんじゃ、このエリア内にいるタコたちをさっさと倒さんとね。次のジャンプポイントで引き返そ」
 ホタルがそう言うと、ヒーローチャージャーを構える。皆も段差の方に向き直った。
「サンゴさんもいるし……タコなんて余裕っすよ!」
ハヤテがパブロを振り上げて言った。
「よく言うわよ……あれだけ危なっかしい立ち回りしてたのに」
 サンゴが呆れ顔でぼやくのが聞こえた。ユリカは思わずクスっと笑った。
「さぁ、バトル再開だ!」
 ユリカはデュアルスイーパー・ポップを片手で持ち上げ、段差上にインク弾を撃ち放つ。それを合図に、オレンジ陣営が一斉に動き始めた。

 無事エリア内のタコを全滅させることに成功したユリカたちは、ハイカラシティロビー前まで戻ってきていた。空はすっかりオレンジ色に染まっている。他のイカたちは別れの挨拶を交わして、それぞれ帰路に着き始めていた。
「さてと……とりあえず、これからどういう形であの黒いガールを追うのか、その作戦を練らなきゃね」
 アオリが話し始めた。現在はホタルと共にお忍びスタイルに戻り、顔をサングラスとマスクで覆っている。
「まず、ユリカたちがタコに対して持っているハンデを何とかしないと。……作戦に協力してくれるのはありがたいのだけれど、やっぱりそのままだと危険すぎるわ」
 サンゴが目を伏せて言った。こちらもいつものギアに着替えている。
「そうやね……ほんじゃ、ブイヤベースに連絡を取ってみようか? 特にブキチ君は以前レプリカも作ってくれたし、もしかしたら、手を貸してくれるかも」
 ホタルの提案に、全員が頷いた。
「じゃあ、それが解決するまでは黒いガールについての情報を集めるってことでいいのかな?」
「いいえ。あともう1つだけ、問題があるわ」
 ユリカの問いに、サンゴが首を振った。
「問題って?」
レイが首を傾げてサンゴに聞いた。
「1人の能力が、極端に低いことだろ?」
 その声を聞いて、ユリカは飛び上がった。
「シンジ君!? どうしてここに……」
「コイツに呼ばれたんだよ。あることで協力して欲しいってな」
 シンジがサンゴを見て言った。
「でも、その感じだと既に察しているようね……そうよ。あなたには、ハヤテのウデを上げる手伝いをしてもらいたいの」
 サンゴがハヤテを見る。ハヤテはと言うと、俯き気味にサンゴとシンジへ目を向けていた。
「彼にはさっき話したわ。作戦についてきてくれるのはいいのだけれど、その前に自分の身の安全を確保できるようにならないと」
「ち、ちょっと待って。あたし、ハヤテ君がそこまで強くないようには見えなかったんだけど……ほら、スプリンクラーの使い方、上手かったし」
 ハヤテが見るからに落ち込んでいるのを見て、ユリカはフォローした。
「ユリカさん、それは違うっす。実はあのスプリンクラーを投げたの、オレじゃなくてサンゴさんなんです……オレ、ノーコンで1回失敗しちゃったし」
 ハヤテが無理に笑って言った。ユリカも返す言葉が見当たらなかった。
「それに、強くなれるなら何よりっす。みなさんの足を引っ張りたくないし、オレもいい加減『初心者』から卒業しないと」
 ハヤテがサンゴに向き直って言った。
「それじゃあ、明日にでも始めましょう。ユリカたちも次の作戦に向けて各自準備しておくように」
 サンゴが締めくくると、今度はシオカラーズの2人と話し込み始めた。ふと、ユリカはあることを思い出して、サンゴに声をかけた。
「サンゴちゃん、ちょっといいかな?」
「? どうしたの?」
 サンゴが首を傾げて見つめている中、ユリカはブキケースから白い布のようなものを取り出した。
「右腕、そのままにしてたでしょ? 今日ずっと左手で撃ってたから気づいたんだ。本当はすぐに貼ってあげようと思ってたんだけど……あんな状況じゃ無理があったから、今やってあげる」
 ユリカはサンゴに近づいてその右袖を捲る。そこには昨日と同じ大きな痣があった。ユリカは少しの間痣を見つめていたが、やがて湿布の粘着面に付いているシートをはがし始めた。
「別にいいのに……これくらい、ほうっておけば治るわ」
 サンゴが慌てて言った。だが、ユリカが湿布を貼ろうとしていても、抵抗せずにそのままの姿勢でいた。
「……はい、できた!」
 ユリカは最後に包帯を巻いて、袖を元に戻した。サンゴが「あ、ありがとう……」と呟いた。
「でも、無理しちゃダメだからね。例えタコが大量発生してもだよ」
「そ、そんなの分かってるわよ!」
 ユリカの言葉を聞いて、サンゴが頬を赤らめた。そして、お互いに可笑しくなって笑い出した。
「ユリカ、ちょっと話があるんだけど、いいかな」
 ひとしきり笑った後、ライトが声をかけてきた。ユリカは頷いてそれに応える。
「この先、俺たちはチームとして行動するだろ? だとしたら、知り合ったばかりのハヤテのことを少しでも知っておいた方がいいと思うんだ。だから……俺たちもハヤテの特訓に付き合わないか?」
「そうだね……シンジ君とハヤテ君がいいって言うなら、そうしようか」
 ユリカは首を縦に振って言った。
「時間も時間だし、今日はもう帰ろうぜ」
「そうですわね……家の者が心配しますわ」
 レイとヒメカが言った。
「それじゃ!」
 ライトが踵を返して歩き出す。ユリカは一足早く帰り始めた3人の背中に向けて手を振った。
「明日、ここで落ち合うぞ。分かってるだろうが、時間がない……遅刻だけはするなよ」
 シンジの話を聞いた後で、ハヤテが「はい! お願いします!」と意気込んで言った。
「ねえ、あたしたちもその特訓に参加していいかな? みんなで連携を取る練習をしたいんだ」
 ユリカはシンジとハヤテに聞いた。
「別に構わないが……オマエはどうだ?」
「勿論、大丈夫っすよ! 改めて、よろしくお願いします!」
 2人がユリカに言った。
「よかった! あたしもそろそろ帰らなきゃ……みんな、また明日!」
 ユリカはマンホール前にいるイカたちに大きく手を振りながら、ハイカラシティの出口へと向かい始める。そうしてデカライン高架下周辺に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「今日は満月かぁ……!」
 ユリカは夜空を見上げて、少しだけ背伸びをする。黄金色の月が、ぼんやりとした光を放ちながら、そこにぽっかりと浮かんでいた。

 また、失敗……。
 何処かにある暗い部屋。壁という壁にモニターが取り付けられた狭い場所で、黒いアタマをしたガールはため息をついた。
 あともう少しだったのに! 思わず歯を食いしばる。『3号』とかいう邪魔なガールさえいなくなってしまえば、こちらの計画は容易に進められたはず。なのに……またしてもしくじってしまうとは!
 やり場のない怒りを込めた視線を、モニターの1つに向けた。ピンクのアタマをし、頬に星型のフェイスペイントを施したガールが、画面内で笑っている。どうしてか、この子はいつも計画の最中に現れ、私が手にかけようとしたイカたちを救ってしまう。あの『裏切り者』や『3号』のように、大した力も持っていないくせに。
 それなら……ガールはほくそ笑んだ。今度はあの子を……。
「近い内、あっちに出かけてくるね」
 ガールは振り返り、部屋の奥に向かって言った。
「ナンノヨウガアッテイクノダ?」
 ガールの声に反応して、暗闇から人影が姿を現す。スコープを首にかけたタコゾネスが、気怠そうな様子でガールを見下ろしていた。
「いいこと思いついたの。大丈夫、今度はきっと、上手くやるから」
 ガールは微笑む。一見無邪気な笑顔のその後ろでは、モニターが徐々に黒く染まっていき、やがてピンクのガールをも飲み込んだ。

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