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06:黒い罠

 ロビーを訪れようとしたユリカたちの前に、彼女は突然姿を現した。
「ふふ……はじめまして、だよね?」
 黒いアタマのガールは微笑をたたえて、ユリカに話しかけた。
「き、キミは…………」
 ユリカは息を呑む。こちらに無垢な笑顔を向けるそのガールからは、思考、感情が読めない。驚きもあったが、同時に畏怖さえ感じていた。
「本当はもっとゆっくり話したいけど……ここじゃ無理そうだよね」
 ガールは周囲に目をやって言った。ユリカもガールを警戒しながら、目をそちらへ向けた。他のイカたちが、ガールを指差し、敵意のこもった眼差しで見つめていた。
「い、一体何を……」
「酷いなぁ。まだ何もしてないのに」
 レイの言葉を遮って、ガールがため息をついた。
「ま、いいや。それじゃあね。キミの顔が見れてよかったよ……ユリカちゃん」
 ガールがそれだけ言うと、踵を返して広場の方へ歩き出した。その場にいた全員が呆然とし、目線を先ほどガールが立っているところに向けっぱなしにしていた。
「ゆ、ユリカさん! 早く追いかけましょう!」
「う、うん!」
 ヒメカに指摘され、ユリカはやっと広場に駆け出した。
「いない……どこに消えたんだ?」
 レイが目を凝らして人ごみにガールを探す。しかし、ユリカはその答えを既に見つけていた。
「あそこ! マンホールに……!」
 ユリカが指差したとき、丁度マンホールの中から「ポチャン」という音を立てて小さな黒い飛沫が上がった。
「それじゃあ、やっぱりあの子はタコと関係が……?」
「うん、多分……そんなことより、行かないと!」
 ユリカはマンホールの上に立つと、「サンゴちゃん、ゴメン!」と言ってマンホール内に滑り込んだ。レイとヒメカもすぐ後ろからついてきた。
「見て、黒インクが……!」
 ユリカは地面を指差して言った。ポツポツと残った黒インクが、ヤカンのあるエリアの方へと続いている。作戦外だからか、アタリメ司令の姿は見当たらなかった。
「これを追えば、あの子の元に……」
 ヒメカが呟いた。
「こうしちゃいられねぇぜ! ユリカちゃん、ヒメカちゃん!」
 レイがインクを辿って走り出した。ユリカたちもその後を追う。しかし、レイがすぐに足を止めた。
「どうしたの?」
「このインク……色んな方向に散らばってる」
 レイが顎で指し示して言った。見ると、確かにインクの作った道が分岐している。それも、丁度3つに。
「それぞれ、違うヤカンに向かっているみたいですわ……どうしましょう、ユリカさん?」
 ヒメカが聞いてきた。ユリカは腕を組む。1人でタコのいる場所へ行くなんて、まだ対抗手段を持っていない自分たちでは危険過ぎるだろう。でも、今ガールを逃すわけには……。
「……あの子を見つけたら、1度ここへ戻って連絡しよう。そしたら、みんなで後を追う。これでいいかな?」
「分かった。オレは先に、ライトへ連絡しとくよ。サンゴちゃんは……まだ戦えるような状態じゃないから、内緒にしておく。2人とも、くれぐれも危険なことはしないでくれよ」
「ええ。レイさんも、お気をつけて」
 3人は頷くと、ヤカンの方へ目を向けた。
「それじゃ、あたしはこっちのヤカンに行くね!」
 ユリカはそう言って手を挙げた。レイとヒメカがそれに応えた後、それぞれイカスマホを取り出したり、同じようにヤカンへ向かったりした。
 ユリカもヤカンへ飛び込む。瞬時に、リスポーン地点へと転送された。
「ここは……」
 ユリカは息を呑む。転送された場所は、前のような荒野ではなく、宇宙空間を模したような場所だった。
 ユリカは足元を見た。黒インクは見当たらない。念のため、少し先の方に行ってみよう……まだ塗られていない地面へと足を踏み出した。
「タコはいない……のかな」
 辺りを見回して呟く。次のエリアに向かっているだろう塗られていない道の両脇は、紫インクの沼になっている。きっと、落ちたらひとたまりもないだろう。
 ユリカは見たこともない光景にやや興奮を覚えながら、ゆっくりと歩を進める。一瞬、沼からコポコポと音が聞こえたような気がして、ようやく我に返った。
「あの子もいないし、も、戻らなきゃ……!」
 ユリカは振り返り、リスポーン地点へ駆け出そうとした。しかし、その先に立つその姿――――真っ黒なアタマと瞳をしたガールを見て、ハッとした。
「もう帰っちゃうの? せっかく後をつけてきたのに……」
 ガールが言った。ユリカは喉元に自分の鼓動を感じた。
「キミは……一体何が目的で……?」
 ユリカは声を押し出すようにして言った。
「目的かあ……キミがまだ帰らないで、ここにいてくれるなら話してあげてもいいよ」
 ガールが相変わらずニコニコとした様子で言った。その目は徐々に、ユリカが手にしたデュアルスイーパー・ポップへと移っていく。ユリカは躊躇した後で、ゆっくりと頷いた。
「ふふ、よかった。それじゃあまず何から話そうか……」
 ガールが腰に手を当てた。相変わらず、ブキを熱心に見つめている。ユリカはガールの目をジッと見つめた。
「……シンジ君を誑かして『クロサメ』を結成させたのは、キミだよね?」
何を話すか悩んでいる様子のガールに、ユリカは思わず口を開いた。
「シンジ……? ああ、あのボーイ君」
 ガールが目を細めた。
「ほんと、バカだよね。たった一試合負けただけで躍起になっちゃって。まあ、おかげで『クロサメ』もできて、みんなめちゃくちゃになったところを見れたのは面白かったけど」
 ガールが嘲るように話し始めたのを見て、ユリカは自分の中でふつふつと怒りがこみ上げてくる感覚を覚えた。
「シンジ君はそれだけ必死だったんだ。キミにはそれが分からないの……?」
「分からないよ」
 ガールが初めて笑みを崩し、無表情になった。
「だって私……クロ、イカたちとナワバリバトルなんて、したことないもの」
 ガールが突然、不機嫌そうな態度を取る。ユリカはその言葉に何か引っかかりを感じた。
「そんなことより……キミは本当に、今のナワバリバトルが公平だと思うの?」
 ガールがまた笑って言った。
「それは……当然、そうだよ。だから『クロサメ』と戦ったんだ」
「ああ、やっぱり……みんな、マッチングやブキのことばかり気にするんだよね。そう、自分のことだけ」
 ガールが俯いた。ユリカは首を傾げた。
「別に普通のことじゃない? だって、ナワバリバトルをするんだから。でも、みんな味方のことも考えてるだろうし、何も自分1人のことじゃ……」
 ユリカは思ったことをありのまま、口に出して言った。しかし、ガールは俯いたままだった。
「ずるい……みんなみんな、楽しそう。……私だって本当は楽しみにしてたんだもん。でも、みんな私を除け者にした!」
 ガールが目を上げると、目を見開いた。その眼光に、ユリカは咄嗟に後ずさりする。
「だから、あんなモノ、消えてしまえばいいって思った。なのに、みんなみんな、キミが邪魔してしまった! 何も知らないクセに、ヒーローぶったキミが!」
 ガールがユリカを指差す。ユリカは最初、ガールの勢いに困惑していたが、言動を聞いている内にまた憤りが湧き上がってきた。
「それは……全部キミがいけないからだよ! ナワバリバトルを消す? 冗談じゃない! そんなワガママが許されると思って……」
 ユリカはそこまで言って息を呑んだ。ガールが再び笑いかけていたのだ。
「ほら、やっぱり何も知らないんだ。……まあいいや。とりあえず、キミにはこの後、私のところへ来てもらいたいな」
 ガールが手を差し出してきた。ユリカはそれを見てやっと、ガールがブキを持っていないことに気づいた。
「行かないよ。あたしは戻らなきゃ。みんなが待ってる……」
 ユリカはそう言って、ガールの横を通り過ぎた。ここに来るときに利用したリスポーン・デバイスの前に来て、ユリカはようやく、それが起動していないことに気づいた。
「言い忘れてたね。キミの後をつけたついでに、そのデバイスはリセットしておいたよ」
 ガールが遠くで言うのが聞こえた。ユリカの背に冷や汗が流れた。
「これで、外から誰か来ない限りは帰れなくなったね……もっとも、今頃他の人たちはヤカン先でタコに囲まれてると思うけど」
 ユリカは咄嗟にデュアルスイーパー・ポップを構えた。しかし、ガールが手を挙げると、両脇の沼からタコたちが姿を現した。
「袋のネズミだね。さあ、こっちに来てよ」
 ガールが両手を差し出してきた。
「絶対に行かない!」
 ユリカは迷うことなく言い放つ。ガールの笑顔が僅かに揺らいだ。
「そっか……じゃ、仕方ないね」
 ガールがそう言うと、腰辺りを探り、小さな銃のようなものを取り出した。
「本当は使いたくなかったけど……ちょっと痛い思いをするくらいじゃないと、言うこと聞いてくれそうだし」
 ガールがそれをユリカに向けた。ユリカは引き金を引こうとしたが、不意に横から紫のインクが飛んできて、ユリカの手元に当たった。
「く…………っ!」
 ユリカは痛みに撃たれた右手を抑える。ブキがカラン、と音を立てて地面に落ちた。
「大丈夫、簡単な『ショックガン』だよ。少しの間、気絶してもらうだけ」
 ガールが微笑みを向けて言った。周りではタコが兵器に乗り、こちらに銃口を向けている。ユリカは次に起こるであろうことを恐れ、アタマの中がパニックになった。
「や、やめて……来ないで!」
 押さえつけていたはずの恐怖が、ユリカを襲う。知らない敵と銃がこちらに近づいてくる。視界すらも真っ白になりかけたとき、ふと、フレンドたちのことが思い浮かんだ。
「誰か……誰か助けて……!」
「だから、来るわけないって――――」
 死に物狂いで叫んだユリカにガールが言いかける。しかし、その目はユリカのアタマより遥か上の方に釘付けになった。
「ユリカちゃん!!」
 後方から、聞きなれた声。次の瞬間、周囲に黄色いインクが撒かれる。ユリカはすぐにそちらを振り向いた。
「レイ君……!」
 ユリカはその姿を見て思わず泣きそうになる。更に後ろにはヒメカとライト、ハヤテもいた。ユリカはそちらへ向かおうとした。
「……! ユリカ、危ない!」
 ライトが叫んだ。ユリカはまたガールの方を見た。
「!? う…………っ!」
 ユリカは肩の後ろあたりに、今まで感じたこともないような激しい衝撃を感じた。すぐ後から襲う身体の痺れ。地面に手をついたユリカはガールを見たが、ガールは既に銃を下ろしていて、撃った様子は微塵もない。代わりに、その奥で潜んでいたタコトルーパーの銃口から、煙が上がっていた。
「どうして!? まだ指示を出していないのに……!」
『オマエノオユウギハオワリダ。ココカラハ、ワレワレガコイツラヲホカクスル』
「でも……!」
『セントウケイケンノナイオマエハ、ユウドウダケシテイレバジュウブンダッタノダ。キカンメイレイガデテイル。カエッテコイ』
「……っ!」
 ガールが見えない声と話し終わると、途端にユリカたちに背を向けて走り出した。
「に、逃げ……」
 ユリカは掠れた声で言いかけたが、その前にレイが立ちはだかる。
「レイ君、早くあの子を……!」
 ユリカはレイに言うが、聞いている素振りを見せない。それどころか、何か小さな声で呟いている。
「………………ねぇ」
「れ、レイ君……?」
 ユリカはおそるおそる声をかける。
「テメェら、ユリカちゃんを……女の子ををこんな目に遭わせやがって…………許さねぇ!!」
 レイが雄叫びを上げてタコに向かっていく。タコたちも威圧されたのか、砲撃準備を止めて逃げ出そうとした。
「レイさん、落ち着いてください! 無闇に突っ込むのは危険ですわ!」
 ヒメカが叫ぶが、レイの耳には一切入っていない様子だ。レイはダイナモローラーテスラを振り上げ、周囲のタコたちをなぎ倒していく。ユリカの位置から一瞬見えたレイの目は、タコたちに対する怒りだけを携えていた。
「……っ! テメェ……!」
 レイの頬を紫のインク弾が掠めた。それが先ほどユリカを狙ったタコスナイパーから放たれたものだと気づいて、そのまま正面から突っ込んでいった。
「レイ、戻ってこい!」
 ライトが大声で言うのも虚しく、レイはタコスナイパーに再び狙撃された。
「レイ君っ…………!?」
 ユリカは必死になって呼びかけようとした。そのとき、レイが腕で飛んできたインク弾を弾き飛ばす。ユリカは次に出かけた言葉を飲み込んだ。
「オラアアアアアァァァ!!」
 レイがそのままタコスナイパーをテスラの塗装部分で叩き潰す。大量の黄色インクが辺りに飛び散った。
 タコたちは完全にレイを警戒していた。ユリカたちには目もくれず、全員が搭乗している兵器の砲口をレイに向けている。
「あれじゃ、身体が持たない……!」
 ハヤテがそう言うより前に、ユリカは歯を食いしばって立ち上がる。同時にデュアルスイーパー・ポップを拾って、レイの元へと駆け出した。
「バカ! 何やってるの!」
レイの横面に照準を合わせ、トリガーを引く。不意を突かれた様子のレイは、自分に降りかかったインクが滴り落ちるのを見て呆然としていた。
「レイ君1人で戦ってるんじゃないんだよ! いい加減気づいて!」
 ユリカはレイを怒鳴りつける。レイがようやくこちらを見て、「ゆ、ユリカちゃん……」と狼狽えたように呟いた。
「ユリカ、レイ、避けろ!」
 ライトの指示が飛ぶ。ユリカはそちらを見かけるが、先にレイに抱きかかえられ、横へ跳んだ。すぐ後ろを、複数のインク弾が通り過ぎる。
「ハヤテ、ヒメカ……言った通りに頼んだよ!」
「了解っす!」
「勿論ですわ!」
 ライトの掛け声と共に、ハヤテとヒメカが前に飛び出す。すぐにヒメカがチェイスボムを投げた。その後を2人がイカになってついていく。タコがそれに気づかず、チェイスボムに照準を合わせようと動き出した。
「私たちはここですわ!」
 ヒメカがインクから飛び出し、タコに向けてヒッセンヒューを振り上げた。ハヤテもヒメカに背を向けて、反対側のタコに向かってパブロをがむしゃらに振る。
「いいぞ!」
「ナイス!」
 レイとユリカは2人に声援を送った。
「全員下がって! 俺がボムラッシュをする。その内にここから逃げるんだ!」
 タコを撃ち抜きながら、ライトが言った。そのアタマは、興奮状態により発光し、インクの流れが激しくなっている。
「ライトさん、お願いします!」
 ハヤテがリスポーン・デバイスに向かって走りつつ叫んだ。ライトが頷くと、スプラスコープを地面に置き、両手を指揮者のように挙げる。次に、手を下の方で交差させた。
「『ボムラッシュ』!!」
 ライトが両手で同時に複数のボムを投げる。地面に転がったボムは時間差で爆発し、逃げ遅れたタコたちに容赦なく黄色インクの雨を浴びせる。
「行くよ、ユリカちゃん!」
 レイがユリカの手を掴む。ユリカも握り返し、その後ろを走った。ハヤテ、ヒメカの後ろから2人がリスポーン・デバイスに乗ると、すぐに瞬間移動が始まった。最後にユリカが振り返ったときには、既にボムは起爆し終わり、タコたちも消え失せていた。
「危なかった……」
 ライトがそう言うと、安堵の息を漏らした。
「最初から罠だったんだ。……ライトとハヤテがいなかったら、ユリカちゃんだけでなく、ヒメカちゃんやオレも別のヤカン先でやられてたよ」
 レイがその場にどっかと座り込んで言った。腕をさすっているあたり、やはり相当のダメージだったらしい。
「今回のことは、サンゴさんたちに報告しておいたほうがいいですわ。……もしかしたら、貴重な情報が得られたのかもしれませんし」
 ヒメカが言った。他のイカたちも頷いた。
「あの、みんな……さっきは本当にありが……と…………」
 ユリカは歩き出した皆の後ろから声をかけたが、その間に視界が渦巻き、意識が遠のいていった。

「…………カ! ……ユリカ!」
 すぐ近くで呼ばれている声を聞いて、ユリカは目を開けた。途端にオレンジ色が飛び込んできた。
「サンゴちゃん……」
 ユリカはか細い声で、こちらを見下ろしている顔に言う。サンゴのイカ足が、ユリカの頬をくすぐった。
「ゴメン……勝手にヤカンに入ったりして。怒ってるよね……?」
 ユリカが起き上がりながら聞いた。どうやら、自分はハイカラシティのベンチ上で横に寝かされていたらしい。夕日が『ブイヤベース』の向こう側へ隠れようとしていた。
「いいえ。そんなことより……意識が戻って良かった……」
 サンゴが首を振り、涙声になりながら言った。
「ユリカちゃんに当たった弾……アレ、インクじゃなかったよな。何か電気みたいなものを帯びていたような……」
「『ショックガン』かな……?」
 ユリカは黒いガールが自分、あるいは自分たちを捕獲するために被弾者の動きを止める用の銃を持っていたことを説明した。
「そんなものが……じゃあ、あのときもサンゴを連れ去ろうとしていた可能性が充分あるってことか」
 ライトが言うと、何人かが身震いした。
「これでは本当に危険ですわ……私たちにしろ、サンゴさんやシオカラーズさんたちにしろ、作戦を実行するまではあちらに行かない方がいいかもしれません……」
「でも、デンチナマズが……」
 サンゴが口を挟んだ。
「こんな状態じゃ、デンチナマズも元もないよ。作戦が終わったら取り返すってことでいいんじゃないか? あの子の行き先だって掴んだんだし、あとはシオカラーズが言ってたブキとギアの開発さえ進めば、すぐにタコたちを倒しに行けるよ」
 レイの提案に、サンゴが渋々頷いた。
「だけど、一応その黒い子が逃げていったエリアには行ってみるわ。作戦を練るためにも」
サンゴがそう言って、周りを見た。誰も反論しなかった。
「決まりだな。じゃ、今日はもう帰ろうぜ! 色々あって疲れたし、ユリカちゃんもゆっくりしないと」
「それはレイ君も同じでしょ。あんな無茶して」
 ユリカはレイに呆れ顔で言った。レイが「あ…………」と気まずそうに声を漏らす。
「でも、レイ君がいなかったら、あたし、ダメだったと思う。……ありがと」
 ユリカは照れ隠しに目線を逸らして言った。
「お、オレも……あのとき、目を覚ますことができたのはユリカちゃんのおかげだよ」
 それを聞いたユリカはレイと目を合わせる。そして、お互い照れくさそうに笑った。
「それじゃ、また明日!」
 レイたちが手を振って歩き出した。ユリカもベンチに座り直して、その背中を見送った。

 陽は沈み、星が瞬き始める頃。ヒーロースーツを身につけたサンゴは、思考を巡らせながら、タコツボバレーを1人歩いていた。
 まさか、何も手がかりが掴めないなんて……。サンゴは思わず吐息を漏らす。ガールが逃げていったというエリアには、彼女がいたという痕跡すら見当たらなかったのだ。最奥部には、自分が以前本物とすり替えたデンチナマズのぬいぐるみが、平然と設置されているだけだった。
「――――そういうわけで、あなたに聞きたいことがあるの。……タコワサ将軍」
 サンゴは掲示板のそばに置いてあるスノードームに経緯を説明した後、声をかけた。すると、『眠れるタコ』がゆっくりと目を開いた。
「ギギ……イカニハナスコトナド、ナニモナイ!」
 タコワサ将軍はそう言うと、そっぽを向く。しかし、サンゴは食い下がらなかった。
「あら、アタリメ司令だって困ってるのよ」
「シッタコトカ!」
 相変わらず突っぱねたような態度を取るタコワサ将軍を見て、サンゴは交渉の話題を切り替えた。
「……おはぎ」
「ギ?」
「私の質問に答えてくれたら、2個あげる。アタリメ司令がこの前私に作ってくれるって約束したの」
 サンゴはジッと将軍を見つめる。将軍がこちらを見て唸りだした。
「……スクナイ」
「じゃ、3個」
「モットダ!」
「随分と欲張りなタコね。でも、これ以上は私の分じゃ足りないし……」
 サンゴは少しの間口に手を当てていたが、すぐに次の案を思いついた。
「私があと2個、作ってきてあげる。これで5個。十分でしょ?」
「ギィ……オマエ、ドッチハダ?」
「粒あん」
「ワシハコシアンシカクワンゾ!」
「分かったわよ。ちゃんとこしあんにするから……それで、あなたは黒いガールを見たことがある?」
 サンゴは相手の我儘に、半ば呆れながら聞いた。
「ギ……クロイイカハナンドカココヲトオリスギルノヲミカケタコトハアルガ、クワシイコトハシラナイ」
 将軍の話を聞いて、サンゴは眉をつり上げた。
「ホントウダ! モシシッテイタラ、アイツハワシヲココカラダシテイルハズダロウ?」
「それもそうね……じゃあ、別の質問。最近、タコたちがまたデンチナマズを回収し始めているのだけれど、そのことについて何か知っているかしら?」
 サンゴは腕を組んだ。
「ギィ……モシカシタラ……イヤ、マサカ……」
 将軍がアタマを振る。サンゴは怪訝な顔を向けた。
「マアイイ、ハナシテヤル……カツテ、アルケイカクヲジッコウシヨウトシタ……ダガ、タコノギジュツリョクヲモッテシテモフカノウダトハンダンシ、スベテノカイハツ、ケンキュウガチュウシニナッタ」
「その計画って?」
 サンゴは間髪入れずに尋ねた。
「……『クロサメノヨル』……ソンナナマエダッタ」
「! それって……」
「ギギィ……ソレシカオモイダセナイ……ダガ、シリョウハマダノコッテイタハズダ。テシタタチガカイハツヲサイカイシテイルトシテモオカシクハナイ」
 将軍の話はここで終わった。サンゴはしばらく、その場に突っ立っていた。
「……ありがとう。私から聞くことはもうないわ」
 サンゴは呆然としたまま言った。『黒雨の夜』計画……『クロサメ』……。
「ギッ……オイ、ヤクソク、ワスレルナヨ!」
「心配しなくても大丈夫よ」
 マンホールへと歩き出したサンゴは、将軍の方を振り向いた。
「今度の作戦が終わったら、いくらでも作ってあげるわ」

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