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08:A RESUCUE OPERATION

 ユリカが到着すると、既に全員がブイヤベース前に集まっていた。イカスツリーが遠くの夕日を反射して、オレンジ色の眩しい光沢を放っている。
「ユリカさん、大丈夫ですか? カフェを出るとき、あまり気分がすぐれないようでしたけど……」
 ヒメカが心配そうな顔をして言った。
「大丈夫だよ。1度家に帰って、アタマの整理ができたから」
ユリカは微笑する。ヒメカも安心したのか、笑い返してくれた。
「皆、揃ったようね」
 サンゴが言った。ユリカたちの視線はサンゴに注がれた。
「早速だけど……これを皆に渡すわ」
 サンゴがポケットから、手のひらに収まる程度の、円いバッジのようなものを取り出した。
「サンゴちゃん、それ何……?」
 レイが戸惑ったように言う。ユリカも僅かに首を傾げた。
「今回の作戦のことで、ブイヤベースの各店を経営する人たちに協力してもらったのは、周知の上よね?」
 サンゴが聞く。全員が首を縦に振った。
「あれから、彼らは私たちが持っていたブキとギアを元に、研究を始めたの。でも、残念ながらそのメカニズムは解明することはできなかったわ」
 サンゴの説明を聞いて、ユリカは肩を落としかけた。
「けれど、解明が不可能であるのなら、今ある技術を応用して何か作れないかということになったの。そこで開発されたのが、このバッジよ」
 サンゴがバッジを配り始める。ユリカは手にするなり、それをまじまじと見つめた。フラット調のブキを模したイラスト。それと、今回協力してくれたであろう店の名前が、小さなイカ文字で書かれているのが見て取れた。
「これは身につけることで、攻撃、防御、イカ速度アップなどの、各ギアパワーを付随してくれるものなの。これでタコに不利な点を補えればいいのだけれど……確実に対抗しうる力があるかは、私も、そしてこれを作った人たちにも分からないわ」
 サンゴがバッジを配り終えた。皆、バッジを色んな角度から観察し、弄りまわしている。
「でも、これで圧倒的な力の差は無くなるんだろう? それなら、十分過ぎるくらいだよ」
 ライトがひとしきり見回した後、目を上げて言った。レイとハヤテも「そうだ」と言うように頷く。
「そう……だったら良かった。……ところで」
 サンゴがヒメカを見る。
「さっきの話が本当なら、私たちは作戦方針を変える余地があるわ。そして、それを決めるのは……」
 サンゴがユリカを見る。ユリカもサンゴの目をまっすぐ見つめ返した。
「ユリカ。私はあなたの判断に委ねる」
 サンゴが瞬き一つせず、述べる。皆の目が、自分に向いているのを感じた。
「あたしは、あの子を……クローバーちゃんを、助けたい」
 ユリカはヒメカを見、次にレイ、ライト、そしてハヤテへと目を移していった。
「クローバーちゃんは、あたしたちがナワバリバトルを通して感じてきたことを知らない。あたしたちも、クローバーちゃんがそれまで経験してきたことを、クローバーちゃん自身から聞いたわけじゃない。だからこそ、今からでも、きっと分かり合えるはずだよ」
 ユリカは最後に、もう1度サンゴを見る。
「勿論、タコは倒す。でも、クローバーちゃんはできる限り説得したいんだ」
「もし、それができないと分かったら?」
 サンゴが問う。ユリカは目を閉じた。
「そのときは……クローバーちゃんをタコと同じように倒す。……もう2度と、『クロサメ』のようなことがあっちゃいけないから」
 ユリカは目を開いて、告げる。
「……あなたらしい答えね」
 サンゴがフッと笑った。
「これより、今回の作戦は 『救出作戦』とし、先程ユリカが述べた方針に従うものとするわ。異論はあるかしら?」
 サンゴが見回して言った。全員が、笑顔を見せた。
「大丈夫そうだね。それじゃあ……救出作戦、頑張ろう!」
 ユリカは拳を天に突き上げる。他の者も、それにならって「オー!」と掛け声を合わせた。
「よーし、じゃ、早速そのクローバーちゃんだっけ? を探さなきゃな!」
「善は急げって言うしね。タコたちに何か吹き込まれる前に、彼女の元へ行こう」
 レイとライトが朗らかに言う。続いてハヤテが「お、オレだって準備できてるっすよ!」と慌てて言っているところを、ユリカとヒメカは吹き出しそうな口を抑えて見ていた。
「え、えっと、その……盛り上がっているところを邪魔するようで申し訳ないのだけれど……」
 サンゴが困ったような顔をしてボーイ3人を制した。
「実は……例のガールが消えたエリアをくまなく詮索しても、手がかりが1つも見つからなくて……彼女が何処に行ってしまったのか、皆目見当がついていないの」
 サンゴが珍しく指先を合わせて消極的な態度を取る。たちまち、全員の「えぇ!?」という声が重なった。
「だから、すぐに行ける保証は無いわ。確かな情報を集めないと、また危険な目に遭うかもしれないし……私やシオカラーズの2人も、必死で探している最中よ」
「そ、それじゃあ……」
 ユリカは遠慮がちに口を開いた。
「正直、何時になるかは分からない。でも、なるべく早く尻ヒレを掴んでみせるわ」
 サンゴがそう言ったのを最後に、ユリカたちはハイカラシティを後にした。皆、そういうことなら仕方ないと割り切っている様子だ。ユリカも同様にその姿勢でいた。しかし、ユリカは心なしか、帰路につくサンゴの表情が曇っているように感じた。
「サンゴちゃん、大丈夫だよ。あたしたちは作戦を実行する日が来るまで、待つから。何なら、サンゴちゃんのことも手伝うし」
 ユリカはそう話しかけたが、サンゴは笑いかけてきただけで、何も言わなかった。ユリカも、それ以上は言及しなかった。
 ふと見上げると、日は沈み、紫色の空に星が瞬き始めていた。

 砂嵐がかった複数のモニターの前に、ガールは佇む。
「カッテニソトニデラレテハコマルノダ。オマエモソレハショウチノウエダロウ……クローバー」
 タコゾネス独特の、片言なイカ語を聞いて、クローバーはため息をついた。
「分かってるよ。でも、失敗した分は何とかしなきゃ」
 クローバーはタコゾネスの方を向く。
「ナゼ……コダワルノダ? ……テキニジョウデモウツッタカ」
「まさか」
 クローバーは自分のイカ足をはらう仕草をすると、タコゾネスのエメラルド色をした目を見る。
「タコさんたちにはたくさん、お世話になったから……恩返ししたいだけだよ」
 クローバーは笑う。しかし、タコゾネスが首を振った。
「ソンナモノ、イラナイ。オマエハココニイレバソレデイイ」
 タコゾネスがそれだけ言うと、奥の暗闇へと身を潜める。クローバーの笑みは段々と消えていった。
「……タコさんも頑固だなあ」
 タコゾネスがいなくなったのを見計らって、クローバーは頬を膨らませた。
 いいもん、別に助けなんかいらないし。クローバーはモニターを見上げる。右上隅の画面に、緑色の鉄骨でできた塔が映った。イカスツリー。憎むべき対象に、クローバーはそっと笑みを向けた。

 ユリカたちがバッジを手にしてから、早数日。未だにサンゴからの連絡はない。それでもユリカたちは近い内に作戦を実行する日が来ると信じて、毎日欠かすことなく、ハヤテの実践練習に付き合っていた。
「本当に人が変わったようだな……」
 シンジがひどく驚いた様子で呟いた言葉を、ユリカは聞き逃さなかった。
「ね、これなら大丈夫でしょ」
 ユリカはふふっと笑って、ハヤテを見る。丁度先程の試合のリザルトを見て、ライトと拳を合わせているところだった。
「なんか……すっかり見直しちゃったよな。こんなに上手くなるとは思ってなかったし」
「私も、ウデマエを追い越されてしまわないか、心配なくらいですわ」
 レイとヒメリが言う。ユリカは自分のことでもないのに、何故か誇らしさを感じた。
「オレは1度別の待機室に寄る。先にイカスツリー前に行っておいてくれ」
 シンジがそう言うと、すぐに歩き去っていった。ユリカたちは談笑しながら、ロビーの出口へと向かう。
「さ、行こうか……あれ、ハヤテ君は?」
 ユリカは辺りを見回した。
「す、すみません! 今行きます」
 すぐにハヤテが後ろからやってくる。涼しい屋内だと言うのに、汗をかいていた。パブロの運動量は、そんなにすごいものなのだろうか。
「そういえば、相手の3Kスコープ使い、凄かったよな!」
「うん。まともに相手ができるような人じゃなかったよ。もし、リッター系が塗れるブキだったら、確実に負けていただろうね」
 他愛もない話をしながら、ユリカたちは歩を進める。ハヤテは相変わらず、何処かぎこちない仕草を見せているような気がした。
「ユリカさん、少しお時間をいただいてもいいでしょうか?」
 ロビー入口に戻ると、ヒメカが口を開いた。
「どうしたの?」
 ユリカは何時にも増して真剣な眼差しをしているヒメカを見て、多少面食らいながら聞いた。
「実は……あのことについて重要な話を……」
 ヒメカが喋り始めた時、ロビー入口の自動ドアが開く。同時に、耳をつんざくような悲鳴が、外から聞こえてきた。
「ん……?」
 ライトが目を細めた。ユリカは痛烈な声が上がった先を見て、息を呑んだ。
「あんただよなぁ? 最近世間を騒がせてるガールってのは」
 イカにも柄の悪そうなボーイとガールの4人組が、イカスツリー前の壁裏で、誰かを取り囲んでいる。包囲されたガールの姿は、ユリカたちのいる場所からだと、よく見えない。
「おい、止めた方がいいんじゃ……」
「馬鹿言え。あいつ……いい気味じゃないか」
 ユリカたちのすぐ隣で、話し声が聞こえる。彼らは目の前で起こっていることを見て、笑っているようだった。
「なんだこの嫌な空気……あ、ユリカちゃん!」
 レイがあからさまに不機嫌な口調で呟いているのを他所に、ユリカは4人組の元へ向かった。
「あははっ! ねぇ、さっさとケーサツに渡しちゃおうよ……そしたらアタシたち、英雄扱いされちゃったりして!」
「それもいいが……これだけ邪険にされてるんだ。……いたぶったって、誰も咎めやしない」
 ボーイの言葉を聞いて、仲間のガールがクスクスと笑う。ユリカは次に起こることを想像して、一層足を速めた。
「キミたち、何して……」
 壁裏に回り、ユリカが4人組に声をかけようとした、その時だった。ボーイの拳が振り下ろされる。鈍く、重い音。頬を殴られたのは、真っ黒なイカ足をしたガール――――クローバーだった。
「ほんといい気味! ダサいヤツ……黒インクなんて、たいしたことないじゃない!」
 ガールが声高に言った。クローバーは頬を抑えながら、静かに4人組を睨んでいた。口の中を切ったらしく、口の端からインクを垂らしている。ユリカは周辺に目をやるが、誰もクローバーを助けようとはしない。それどころか、この状況を楽しんでいるような様子さえ見せていた。
「なんだてめぇ」
 ボーイが舌打ちする。気づけば、ユリカはクローバーに背を向ける形で立ち、ボーイと対峙していた。
「ちょっとぉ、折角のシーンを台無しにしないでくれる? アタシたち、ソイツを制裁してやってんだから」
 ガールがわざとらしく頬を膨らませて言った。
「アンタたちのやってることは、ヒーローとか、制裁とか、そんなものじゃない…………ただの弱いものイジメだ!」
 ユリカは4人組に鋭い視線を向けた。
「言ってくれるねえ……じゃああんた、悪役は野放しにしてもいいって、そう思ってるわけかい?」
 ボーイが嘲笑うようにユリカを見下ろしてきた。
「そいつは今まで散々、ハイカラシティ中を騒がせてきた反乱分子だ。皆、口では言わないが、そいつが以前ナワバリバトルを奪ったことだって知っている。ほうっておけば、また何か事件を起こすと考えるのは当然だろう? だからこそ、やられる前にやっちまおうって算段なのさ」
 ボーイが屈んでユリカに威圧をかけてきたが、ユリカは食い下がらなかった。
「だからって……暴力を振るうのは違う! この子は……クローバーちゃんは、確かにひどいことをしてきたかもしれない。でも、それと同じくらい……いや、それ以上の辛いこと、悲しいことを経験してきたんだ!」
 ユリカはボーイに噛み付く勢いで叫んだ。誰かがハッと息を呑む。次の瞬間、クローバーが駆け出した。
「あっコラ! 待ちやがれ……」
「行くな。あんな目立つ色してるんだ、すぐに見つかる……それより、こっちの方が面白そうだ」
 ボーイがユリカに向き直ると、嫌な笑みを見せてきた。
「あんた、あのガールのお友達なのかい。それじゃあ……あいつの身代わりになっても、文句ねえよなあ?」
 ボーイがそう言うと、ガールが身を乗り出す。
「アンタ、よくよく見たら、ちょー可愛いブキ持ってんじゃん。あのガールとアンタ自身を見逃して欲しいなら……それ、アタシに頂戴」
 ガールがケタケタを笑いながら、手を伸ばしてくる。ユリカはその場から離脱しようとするが、ボーイたちが行く手を阻んだ。
「ユリカちゃん!」
 すぐ近くから、レイの声が聞こえてきた。ユリカがホッとしてそちらを振り向くと、丁度ボーイ1人を押しのけているところだった。
「隙有り!」
「しまっ……!」
 不意に右手をグイっと引っ張られ、ユリカはデュアルスイーパー・ポップのグリップから、手を離してしまった。
「あはは! いただき……って、きゃあ!?」
 高笑いするガールの後ろから、ライトがデュアルスイーパー・ポップを取り上げた。
「君たち、見覚えがあると思ったら……リスキルや初心者狩りをしているって噂のチームじゃないか」
 ライトが珍しく低い声で言った。後ろではハヤテとヒメカが心配そうな顔をして、様子を見守っている。
「はっ……参ったねこりゃ」
 ボーイが口ではそう言いながらも、相変わらず余裕ぶった笑みを見せる。
「ユリカさん、早く後を追いかけましょう……!」
「そんなこと、アタシたちがさせると思う?」
 ガールが態度を豹変させ、唸るように言った。
「そうだな……あんたたちには、ちょっと黙っててもらおうか!」
 突然、ボーイが腕を引き、拳を作る。ユリカは衝撃に備えて、目を瞑った。
「黙るのはオマエらの方だ」
 パシッという音が響く。想像していた痛みは微塵もない。ゆっくり目を開くと、目の前にイカライダーブラックを着た背中が見えた。
「シンジ君……!」
 ユリカは目を見開いた。
「なっ……コイツ、柵の上から……!?」
 レイと葛藤していたボーイが、動揺しきった声を上げる。
「ほう……まさかここで、邪魔が入るとはな」
 ボーイがシンジに掴まれた手を引く。
「早くアイツを追え。ここはオレが引き受ける」
 シンジがやや早口に言った。
「そんな悠長なこと言ってられる状況か?」
「言っていられるのよ」
 ユリカの頭上に影ができる。シンジの隣に、クレナが降り立った。
「ほらよ、これで大丈夫か?」
「さ、サンキュー、サロメ……」
 すぐ横で、レイの疲れきった声がした。
「こんな奴ら、とっととやっつけちゃおうよ。僕らもそんなに暇があるわけじゃないし」
 マツバが欠伸をしながら、ライトの隣に現れた。ガールが物凄い形相をしているのを気に留める様子もなく、イカにも気怠そうだ。
「今だ、行け!」
 サロメがユリカに目を向け、叫んだ。ユリカは迷わず、マンホールの方へと駆け出す。
「行かせるか……うおっ!?」
「はいはい、君たちの相手はこっちだよ」
 ユリカの前に立ちはだかろうとしたボーイの後ろ襟を、マツバが掴む。ユリカは自分に向かって伸びてきた手をかわして、マンホール上まで来た。
「レイ君、ライト君!」
 ユリカは未だ4人組を睨んでいる2人の名を呼んだ。2人が頷き、こちらに走ってきたのを確認してから、マンホールに目をやる。
「シンジさんたちが相手の気を引きつけてくれているみたいですわ。今の内に……!」
 ヒメカがすぐそばに来て言った。ユリカはライトからデュアルスイーパー・ポップを受け取る。そして、真っ先にマンホールへと飛び込んだ。
「ユリカ! たった今連絡しようとしたのだけれど……ここに来たということは、もう知っているのね」
 タコツボバレーに入るなり、サンゴが声をかけてきた。ユリカはしっかりと頷く。
「あの子はどこに……?」
「それなら、ちゃんと手がかりがあるわ」
 サンゴが地面を指差す。小さな黒インク溜まりが並んでできた道。ユリカはそれが、クローバーの口元から溢れていたものだと気づいた。
「バッジの装着を。すぐに向かうわよ」
 サンゴが指示を出す。ユリカはヤコメッシュを手に取り、正面から見つめる。そして、キャップの左側に元から付けていた2つのバッジより高い位置に、陽光を受けて煌くそれを、新たに加えた。

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