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09:潜入

「ここよ」
 サンゴがヤカン上に立つ。以前、ユリカがクローバーを追いかけて飛び込んだヤカンだった。地面にはまだ、黒インクの小さな点が残っている。
「今回は大丈夫なんですか? つまり……」
 ハヤテが不安そうな声を上げた。ゴーグルのバンド部分で、バッジが白い光を反射している。
「あのガールがまっすぐこのヤカンに向かったところを見たから、間違いないわ。それに、あの焦り様……とても騙すための演技には見えなかった」
 サンゴが目を細めた。ユリカは1歩前進する。
「大丈夫。今度は絶対に、見つかるよ」
 ユリカはサンゴにそう告げた。サンゴが頷く。
「シオカラーズの2人は生憎、都合が合わないそうなの。でも、バッジがあるなら……私たちだけでも問題ないわ」
 サンゴがヤカンを見下ろした。
「行きましょう……手遅れにならない内に」
 その言葉を最後に、サンゴがヤカン内へ滑り込む。ユリカたちも後に続いた。
「両サイドの沼に気をつけて。敵がセンプクしているかもしれないから」
 サンゴがリスポーン・デバイスから出ると、ヒーローシューターを取り出す。
「あそこ! 敵っす!」
 ハヤテが指差した先に、タコプターが浮遊していた。
「あたしがやる!」
 ユリカは身を乗り出して、デュアルスイーパー・ポップの引き金を引いた。銃口から放たれた青いインク弾は、適正射程ギリギリでタコプターを捉える。1発、2発、3発……4発目が当たった瞬間、タコプターが爆散した。
「やった……!」
「バッジの効力は十分みたいだな!」
 喜ぶユリカを見て、レイが笑いかけてきた。襟元に、そのバッジが付いている。
「このチョーシなら、心配しなくて済みそうね。先を急ぎましょう」
 サンゴが手前の地面を塗って、イカ形態になる。ユリカたちも時折道を塗りながら、なるべく気配を悟られないようにして、先を急いだ。
 結局、その後は敵に出くわすこともなく、進むことができた。ただひたすら、黒インクをたよりに、クローバーを探す。時折、誰かが注意深く辺りを見回したりもしたが、すぐに首を振って、インク内に引っ込んだ。
「ストップ」
 エリアの端と思われるところまで来ると、サンゴがヒト形態に戻った。
「行き止まり……?」
 ライトがインクから出てくると、首を傾げる。しかし、サンゴは首を振った。
「いいえ。この先をよく見て頂戴」
 サンゴがエリアの先、空中を指差す。「え!?」ハヤテが唖然として声を上げた。
「インクが……浮いていますわ……」
 ヒメカが息を呑んだ。視線の先には、重力を無視しているかのように、道をつくっている黒インクの痕がある。その道は、宇宙空間を模したその先にまで伸びているようだった。
「ステージによっては、こんな風に透明な床があるのよ。でも、インクを塗れば見えるようになるわ」
 サンゴがそう言うと、黒インク周辺にインク弾を放つ。たちまち、青いインクが空中に広がった。とても奇妙な光景だ。
「なるべく中央を歩くようにして頂戴。落ちると面倒だから」
 サンゴの助言を聞くと、ユリカたちは列を作って床の上を泳ぎ始めた。ユリカはこんなところでタコが出たらどうしようなどと考えていたが、杞憂だったらしい。タコはその面影すら見当たらなかった。
「これは……」
 突然、先頭を行くサンゴがヒト形態に戻り、ユリカたちは軽く玉突きを起こした。
「どうしたの?」
 ユリカはサンゴの背中に問うた。
「手がかりが、ここで途切れているわ」
 サンゴが振り向いて告げる。ユリカは絶句した。
「それじゃあ、またふりだしってこと……?」
「いいえ、そんなことは……この先、左側に床が続いているから、そっちに行けばもしかしたら……」
 レイが絶望的な声を上げたのを聞き、サンゴは首を振った。しかし、確信があるようには見えない。寧ろ、希望的観測にさえ聞こえた。
「とにかく、先に行ってみましょう。道はこっちにしか無いのだから、あの子も通ったに違いないわ」
 サンゴが気を取り直した様子で、透明な床を塗る。再び現れたそれの上に踏み込んだ時、後ろで誰かがぼやく声が聞こえた。
「何?」
「あ、あたしじゃないよ!」
文句を言われたと思ったのか、サンゴが鋭い視線を向けてきた。ユリカは慌てて首を振った。
「さ、サンゴさん! ちょっと気になったことがあるんですけど……」
 声の主はハヤテだった。1番後ろで手を挙げながら、少し跳ねている。
「どうしたの?」
 サンゴがため息をついた。
「あの、地面に付いてる黒インクを見て、思ったんです……ここに来るまで、黒インクはちゃんと道を作っていたのに、突然消えてて、奇妙だなって」
 ハヤテが至極当たり前のことを述べた。ユリカは思わず、手で顔を覆いそうになった。
「だから、こうやって進んでるんじゃないのか?」
「あ、いやそうじゃなくて! もっと変だな、と思うことがあったんです!」
 レイが呆れたように呟いて向き直った途端、ハヤテが大慌てで付け加えた。
「……それで?」
 サンゴが腰に手を当てた。どうやら、かなり苛立っているらしい。
「えっと、その……このインク、あまりにも突然消えてる上に、サンゴさんたちの方には向かってないというか……道の端にまでかかってるんです。それまで道のど真ん中ばかり通っていたのに……それがおかしいなって」
「そんなの、角を曲がり損ねただけじゃないかしら。誤って足を滑らせて、落ち……」
 サンゴがここまで言うと、ハッとしたように目を見開く。
「サンゴ、何かあったのかい?」
 バッジを付けたリストバンドをいじっていたライトが、サンゴの表情を見て言った。
「まさか……彼女、わざと……? でも、もしそうなら、辻褄が合うわ……」
 サンゴがよく分からないことを呟く。「サンゴちゃん……?」ユリカはそっと声をかけた。
「……皆、ここから下に飛び降りるわよ」
 サンゴが床の外を指差した。
「ええええ!?」
 予想外の指示に、ユリカたちは絶叫した。
「と、突然どうしたの?」
 ユリカは率直に聞いた。
「ハヤテの話を聞いて、ある1つの仮説が思い浮かんだのよ。……彼女はここから落ちて、別のエリアに行ったのではないか、という仮説が」
 サンゴが信じられないような説明を始めて、ユリカは目を丸くした。
「過去に集めた情報によると、タコたちは地下に丸いスペースを何個も作って暮らしているそうよ。もし、ここから落ちることで、ヤカンでは行けない、別のスペースへの入口に入れるとしたら……」
 サンゴが床の端に立って、一見底なしの空間を見下ろす。その広大さに、ユリカは息を呑んだ。
「仮に、これが間違った仮説だとしても、チェックポイントは抑えているから大丈夫よ。少しでも可能性があるなら、試してみたいの」
 サンゴがユリカを見る。ユリカは迷うことなく頷いた。
「最初聞いたときはびっくりしたけど、説明を聞いたら納得が行ったよ。試す価値は十分にあると思う」
 ユリカは気持ちを落ち着かせるため、目を閉じる。深呼吸をしてから、再びゆっくりと目を開いた。
「一斉に行くわよ。置いていかれたりしないように気をつけて」
 サンゴが揃って床の端に立つよう、全員を促す。
「準備はいい?」
 横1列に並んだイカたちを見て、ユリカは声をかける。すぐに全員が頷いた。
「それじゃ……せーのっ!」
 ユリカは叫ぶと同時に、床から足を浮かせる。ナワバリバトルで経験する落下よりも長く、速く空を切る感覚。まだリスポーンはしていない。ユリカはこのエリアが底のない宇宙空間を模していたことを思い出して、目を瞑った。それから更に落ちて、落ちて……。
「――――どうやら、本当にたどり着いてしまったようね」
 サンゴの声がして、ユリカはようやく目を開けた。足元には青色のチェックポイント。そして、眼前には……紫色の地面と、無数のタコたち。
「見て」
 サンゴが地面を指し示す。そこには、紫インク上に残る黒インクが……。
「まさか、あの子……このインク上を逃げていったってこと?」
 ライトがしゃがんで、そのインクを観察する。
「おそらく、浸透圧が近いのよ。潜れはしなくても、足を取られずに進めるんだわ」
 サンゴが一番手前にいるタコトルーパーに照準を合わせた。
「これだけ多くのタコがいるエリアがあるなんて、知らなかったわ。……気を引き締めて行きましょう」
 そう言うが早いか、サンゴが目にも止まらぬ速さで地面を塗る。タコトルーパーがそれに気づいて黄緑色の目をギョロっと向けた。束の間の沈黙。そして、ユリカが瞬きするよりも素早く、サンゴはタコトルーパーを仕留めていた。
「まずは安全圏を確保、その後、殲滅にかかるわよ!」
 サンゴが近寄ってきたバイタコトルーパーの弾をかわしながら、ユリカたちを導く。ユリカは頷くと、後方を振り返った。
「いつもの連携通りにいくよ……ハヤテ君、お願い!」
「了解っす!」
 ハヤテがスプリンクラーを片手に前へ躍り出る。そして、サンゴの近くに向かってそれを投げた。
「今だよ!」
 ユリカはタコたちの目がスプリンクラーに釘付けになったのを見て、チェックポイントから飛び出す。途端に、別のタコが動き出した。
「させるか!」
 後ろでレイの声がしたかと思うと、ユリカの頭上に青色インクのカーテンがかかる。不意を突かれたらしいタコたちは、そのまま呆気なくインクの海に飲まれた。
「タテタコトルーパーは前からの攻撃を防ぐわ。横に回って本体を狙うのよ」
 デュアルスイーパー・ポップを突き出したとき、サンゴが補足した。見ると成程、ユリカの前でスプリンクラーを壊すことに意識が向いているタコが、自身の正面にガーターのようなものを構えている。
「こっち……!」
 ユリカはすかさず、狙いどころを少しずらす。そして、タコ本体めがけて弾を撃ち込んだ。タコがこちらを見たような気がしたが、確認する前にインク飛沫を上げて消滅した。
「こっちの小さなタコさんは?」
 ヒメカがヒト形態で後ろに下がりながら、サンゴに聞いた。胸元では、あのバッジが光っている。ヒメカの視線の先を見ると、筒状の動体をした、円いタコ(が開発したであろう兵器のようなものが。兵器は赤いランプを灯しつつ、細い4本の脚を動かして、ヒメカを追いかけていた。
「タコポッドよ。触れると爆発するから、下がりながら対処するといいわ」
 サンゴが言い終わらないうちに、ヒメカはタコポッドにヒッセンを振る。たちまち、タコポッドは文字通り「爆発して」消えた。
「……! タコスナイパーよ。センプクでやり過ごして」
 紫の射線が、インクに潜るユリカとサンゴの前を横切る。すると同時に、青色の射線が現れた。
「撃たれる前に……全部やる!」
 ライトの声が響いたかと思うと、青の射線がピタっと動きを止める。2人の目の前で空を切るインク。続いて、少し遠くの方から、タコの断末魔が聞こえてきた。
「良いチョーシ!」
 ユリカはヒト形態になると、ガッツポーズを取る。全員の顔に、笑みが見られた。
「敵は警戒して前に出てこないわ。このまま、こちらから仕掛けるわよ」
 サンゴが手を挙げて、前進を促す。ユリカはスプラッシュボムを投げると、イカジャンプで大きく前に跳んだ。時間差で爆発したボムの飛沫が、イカ足に触れる。途端に、タコダイバー2匹が、インクの中から姿を現した。
「当たらないよ!」
 ユリカはタコダイバーが撃った弾を見切って避ける。更に、隙を見せないように照準を合わせ、2匹とも素早く処理した。
「こっちの敵は全部倒しておいたぜ!」
「塗るのは俺に任せて、皆さんはどんどんやっつけちゃってください!」
「分かりましたわ……潜んでいるタコさんたちには注意してくださいね」
「塗りもこっちが押している……あともう少しだ!」
 凄まじい勢いで、青インクがエリアを染め上げていく。ユリカが次の敵を倒してから辺りを見回すと、既に他のタコはいなくなっていた。
「次のエリアは、おそらくこの下に見える、円状のステージ。敵は確認できないけど、難易度はずっと高くなると思うわ。……気を引き締めて行きましょう」
 サンゴがエリア端に立って言った。
「私に続いて。ジャンプポイントから、あそこまで跳ぶわよ」
 サンゴがそう言うと、近くの青いインク溜まりのようなものに、イカ形態で飛び込む。ユリカはサンゴがそこから下のエリアへ向かってスーパージャンプしたのを見てから、同じようにイカ形態でそこに入った。
「やけに静かだな……」
 ユリカがヒト形態になってエリアを見渡す後ろで、レイが呟いた。このエリアも紫インクで塗られており、黒インクの痕は中央で途絶えていた。
「とりあえず、地面を塗っておきましょう」
 サンゴが紫に染まった地面へ青インクを撒いた。ユリカたちも合わせて、それぞれのブキを構える。
『キャハハ!』
 ユリカがトリガーを引く寸前、エリア中に甲高い声がこだました。
「タコゾネス……!」
 サンゴが空を仰いでいるのを見て、ユリカも顔を上げた。上空で放物線を描く複数の紫インクの先に、ヒト型のタコ。放物線は、全てこちらに向かってきているようだった。
「ねぇ、今気づいたんだけど……あの子らめっちゃ良いおっぱ」
「ふざけてる場合じゃないから!」
 エリアに降り立ったタコゾネスたちに攻撃を仕掛けようとする最中、ユリカはレイに呆れ顔で叫んだ。
「油断は禁物よ。相手は私たちと同じ性能……っ!」
 サンゴが話を止めたかと思うと、そばにいたハヤテを突き飛ばす。次の瞬間、鋭い紫インクが飛んできて、ハヤテの頬を掠めた。
「タコスナイパーまで!? いつの間に……」
「とにかく、こっちも応戦しなきゃ! ハヤテ君、立てる?」
 ユリカは地面に尻もちをついたハヤテに手を伸ばす。しかし、ハヤテはこちらを見向きもしなかった。
「ハヤテ君……?」
 ユリカはハヤテの見開かれた目を覗き込んだ。明らかに様子がおかしい。
 ハヤテの目線の先には、彼の頬に切り傷を付けたであろう、1匹のタコスナイパーがいた。

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