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11:星空の下

 暗闇の中に、小さな光が見える。ユリカはそれを目指して、ただひたすら走った。金属質の床を蹴る幾つかの音、高鳴る鼓動。「あと少し……」誰かが呟いた。光が一気に近づいてくる。差し掛かる瞬間、思わず目を細めた。
 一瞬の閃光。眩しさに目がくらんだ後、ユリカたちは、数多のモニターが並ぶ部屋の中にいた。
「あの子は……」
 モノクロの画面を眺めながら、ヒメカが言う。ユリカは既に、その答えを見つけていた。
「こっちだよ」
 ユリカは地面を指差す。そこにはやはり、小さな黒いインク溜まりがあった。
「2人とも、準備はいい?」
 ユリカはヒメカとハヤテの方を向き、尋ねた。2人はすぐに、しかしゆっくりと頷いた。ユリカも軽く顎を引くと、黒インクが続く先へと歩を進めた。
 部屋の先は光ひとつない闇だったが、ユリカは自然と、正しい方角に向かって歩いている、という確信があった。徐々に足が早まる。駆け足になった時には、上空に星のようなものが浮かび始めていた。
「来たの」
 前方から声が聞こえて、ユリカは止まる。闇の中にいたはずなのに、いつの間にかそれは晴れて、ユリカたちは四角いエリアの中央にいた。
「クローバーちゃん……」
 ユリカは巨大なキカイを背にして立つ、黒いアタマをしたガールに話しかけた。
「クロの名前をどこで知ったのかなんてどうでもいいけど……今更、気安く呼ばれてもね」
 クローバーが死んだような目をして笑う。頬には、黒インクの跡が残っていた。
「クローバーさん。私たちは、あなたを倒しに来たわけではありませんわ。少し……お話がしたいだけですの」
 ヒメカが前に出て言った。言葉を選んでいるようだった。
「へぇ。どんなお話なの?」
 クローバーが自身の身につけているスクールブレザーから、埃を払いながら聞いてきた。
「……クローバーちゃんと初めて会った後、あたしを含め、ここに来た人たちはみんな、クローバーちゃんの色んなことを知ったんだ」
 ヒメカがこちらに目を向けたのを確認すると、ユリカは話し始めた。
「あたしたちは本当に何も知らないまま、ただクローバーちゃんたちを倒そうと必死になってた。でも、それ自体が間違いなんだって、知った後で気づかされた。そのことは、本当にゴメン」
 ユリカは1度目を閉じて、一息入れる。
「それから、考えたんだ。クローバーちゃんのことを知っている今のあたしたちなら、クローバーちゃんを元のセカイ――――ハイカラシティがある、イカのセカイに連れて帰れるんじゃないかって。だから……」
「だから、何?」
 クローバーが口を挟む。ユリカは1度、出かけた言葉を呑み込んだ。
「今更だって言ってるじゃん。何を知られようが、私には関係ない。君たちは何もかも、遅すぎたんだよ」
「そんなことない! 今からだって、きっと大丈夫だよ。タコなんかといるより、地上に戻った方が……」
「うるさい!」
 クローバーが唸る。ユリカはその気迫に、食い下がる外なかった。
「君たちなんかよりずっと、タコさんたちは私に優しくしてくれた! 今も、私のために戦ってくれてる……理想のセカイを作るんだって、今度こそ、地上を本当の意味で平和にするんだって!」
 クローバーがそばにあったキカイの一片に手を触れる。チューブのようなもので繋がれた先端には、煌く筒状の金属。ユリカはそれが何かを悟り、ヒメカとハヤテを見た。
「逃げ――――」
「邪魔なのは君たちだよ! 今ここで……消えてしまえ!」
 ユリカが全て言い切る前に、黒い弾丸が飛んでくる。2人はすぐに散ったが、背を向けていたユリカは弾を見切れなかった。
「く……っ!」
 容赦なく浴びせられるインク弾の1つが、ユリカの頬を掠めた。小さな傷のはずなのに、焼けるような感触。それは、かつて『クロサメ』が使っていたものと同じか、それ以上の攻撃力を持っていた。
「誰も生きて返さない!」
 クローバーが放つ弾幕は止むことなくユリカたちを襲う。
「うわわっ、危ないっす!」
ハヤテがフデをひきながら叫ぶ。何とか突破口を開こうとするものの、狭いエリア内では、避けることで精一杯だった。
「仕方ありません、ここは倒しにいきますわ……!」
 ヒメカがインクの中から飛び出すと、チェイスボムを繰り出す。ボムは尚も撃ち続けているクローバーに向かって、一直線に進んでいった。
「っ!」
 爆発音、そして青いインク飛沫。同時に、激しい弾幕も止まった。
「く、クローバーちゃん……?」
 ユリカは舞い上がった砂埃の中に向かって声をかける。その瞬間、またしても黒い複数の弾が向かってきた。
「そんな、どうして……!?」
 ユリカは弾幕をかわしながら、スプラッシュボムを投げ込んだ。
「見てください、アレ!」
ボムが爆発した勢いでクローバー周辺の砂埃が消え去る。しかし、クローバーの姿はタテタコダイバーたちによって囲まれ、殆ど隠れてしまっていた。
「先にタコたちを……!」
 ユリカは片手でデュアルスイーパー・ポップを持つと、端にいたタコに向かって撃ち込む。最初の数弾はヒットしたものの、すぐに隣のタコがタテを構えて遮った。
「うわっ!」
 ユリカは寸でのところで、タコが放ってきたインク弾を避ける。その色は紫ではなく、黒だ。
「これじゃ、近づけないっす!」
 ハヤテが弾幕に押されながらも、正面にスプリンクラーを投げる。しかし、地面に着くか着かないかのところで、あっさりと撃ち抜かれた。
「そうですわ……ユリカさん!」
 ヒメカが周囲を塗りながら、ユリカを呼ぶ。
「クローバーさんのところに、スプラッシュボムを投げ込めますか? もしかしたら……」
「そうか……! 分かった、やってみる!」
 ユリカはヒメカの意図を理解すると、1度青インクに潜る。そして、インクタンクのランプが光ったと同時に、スプラッシュボムを構えて空高く投げ上げた。
「いっけぇ!」
 ユリカの投げたボムは、ピンポイントでクローバーの前に落ちる。タコたちが慌てて逃げ出したが、起爆に巻き込まれて散った。
「まだ……まだ!」
 クローバーは寸前で後ろに下がったのか、まだそこにいた。そして、再びユリカたち目がけて散弾を放つ。
「クローバーちゃん、もう止めよう……? あたしたちは、キミと戦いたくない!」
 ユリカは死に物狂いで叫ぶが、クローバーには一切届いていないようだった。
「仕留める……!」
 クローバーが前に手をかざすと、周辺の空中に、黒インクが集まっていく。いくつかあるそれはみるみる内に大きくなると、突然バイタテタコトルーパーに姿を変えた。
「うっ……!!」
 雨霰のような黒インク弾が、ユリカたちを襲う。クローバーとバイタコたちの占有力は、ユリカたちの塗力を遥かに凌駕していた。
 このままじゃ、やられる……!
 ユリカは慌てて辺りに目をやるが、逃げられるような場所は何処にもない。後ろにいたヒメカとハヤテも、青インク内からあぶり出された。
「うあ……っ」
 足元を黒インクに取られ、地面に仰向けに倒れる。誰かが悲鳴を上げた。
「ゲームオーバー!」
 クローバーの瞳孔が鋭くなったかと思うと、銃口をユリカに向ける。立ち上がることもできないまま、ユリカは次来る衝撃を想定し、固く目を閉じた。
「そこまでよ!」
 エリアに響く声。ユリカは思わず、目を見開く。続いて、両脇で竜巻のような唸りが轟いた。
「お待たせ!」
 2つの『スーパーショット』は、凄まじい勢いでタコたちを射抜く。ユリカは思わず、後ろを振り返った。
「ヒーローはぁ!」
「遅れてくるもんやね!」
そこには、巨大なバズーカを肩に担いだシオカラーズの2人と――――敵の方に鋭い視線を向けているサンゴ、レイ、ライトがいた。
「みんな! でもどうして……?」
 ユリカの近くに全員が集まってくる中、ユリカは疑問を隠せなかった。
「見くびってもらっちゃ困るなあ……あたしたち――――1号、2号、3号の連携は、最強なんだから!」
 アオリがフフーンと得意げに笑って、仁王立ちする。
「2人には私がルートを教えておいたのよ。それで、何とか間に合ったってこと」
 サンゴがユリカの耳元で囁いた。
「ユリカちゃんたち、大丈夫か……? この状態だと、すごく大変だったみたいだけど」
「危うくやられるところだったけど……さっきのスーパーショットのおかげで助かったよ。ありがとう」
 レイが心配そうに話しかけてきたが、ユリカは笑ってみせた。
「これで、何とかなりそうっすね……! 皆さんがいれば、百人力――――」
「それはどうかな」
 ユリカはすぐさま、アタマをクローバーの方に向けた。肩を怒らせ、憎悪のこもった目でこちらを睨んでいる。
「クロのこれには、誰も敵わないよ!」
 クローバーが叫ぶと、またしても弾幕を張る。次に、空中から複数のタコゾネスたちが召された。
「みんな、一旦バラけるんよ!」
 ホタルの指示で、全員がその場から散る。クローバーが放った弾は、地面を穿つほどの威力だった。
「みんな、クローバーちゃんは撃っちゃダメ! タコゾネスだけを狙って!」
「オッケー!」
 軽快な返事と共に、ライトがスプラスコープを構える。制止したのも束の間、銃口から放たれた青インク弾が、タコゾネスにヒットした。
「あのブキ……じゃなくて、キカイはいつインクが切れるのかしら?」
 サンゴがそう言うと、空中で身を捻って弾をかわした。
「えっと……実はあのキカイ、さっきからずっとあんな感じで……インクが切れたことはないというか…………」
「そういえば、避ける瞬間だけでしたものね……クローバーさんが撃たなくなったのは」
ヒメカが隣で冷や汗を垂らし、思い出したように言った。ユリカはハハ……と苦笑いしながら、頬を掻いた。
「じゃあどうすればいいの!? このままじゃ蜂の巣にされるのが関の山だぜ?」
 レイがタコゾネスにインクを振り撒きつつ、動揺しきった声で言った。
「もしかしたら……あのキカイのインク補給部分を壊せば、何とかなるかもしれないわ」
 サンゴがタコゾネスにクイックボムを投げつけ、牽制する。
「でも、あのキカイを正面から見た限りだと、そんなところ無いし……あれじゃ塗れないから、上ることもできないっすよ!」
 ハヤテが走り回って敵を攪乱し、叫んだ。
 やっぱり、倒さないといけないのかな……。ユリカはそんなことはないと首を振り、何とかクローバーを傷つけることなく、戦いを終わらせる方法を模索する。しかし、何1つとして思い浮かばない。無意識の内に、デュアルスイーパー・ポップを握る手に力が入った。
「ねぇ、あれは……?」
 ライトがエリアの一角を指差したのを見て、ユリカは目を凝らす。キカイの巨大な胴部が邪魔して目視しづらいが……そこには確かに、細い道のようなものがあった。
「もしかして……あそこから後ろに回れば、インク補給部分にたどり着けるんじゃないか?」
 レイがハッとして言う。途端に、ユリカは1つの作戦を思いついた。
「ハヤテ君!」
「はい!?」
 突然呼ばれたことに驚いたのか、ハヤテが素っ頓狂な声で返事をした。
「あたしたちがここにいる敵を引き付けるから……あそこにある道を走り抜けて、キカイの一部を壊してきて!」
 ユリカは真面目に頼んだが、ハヤテは「そんな無茶な……!」と首を振る。
「ハヤテ君なら、この弾の間を通り抜けていけるはず……戦いを終わらせるためには、キミの力が必要なんだ!」
 今度はユリカの必死さが伝わったのか、ハヤテがぐっと顎を引く。そして、「分かりました……!」と決意の眼差しで述べた。
「それじゃ、すぐに始めるよ……」
「待って!」
 ユリカの言葉を遮ったのは、サンゴの声だった。
「これを持って行きなさい」
 サンゴがハヤテに向かって何かを投げる。ハヤテが慌てた様子でそれをキャッチした。
「それで1度だけ『スーパーショット』が使えるようになるわ。キカイを壊すときに役立てなさい」
 「頼んだわよ」。説明した後で、サンゴが微笑む。ハヤテは大きく頷いて、手にした緑色の缶のようなものをポケットにしまった。
「さあ、行くよ!」
 ユリカはインクタンクからスプラッシュボムを出すと、空中に投げ出した。
「ハヤテ君、走って!」
「了解っす!」
 中央にいたタコゾネスたちの視線が、ボムに移っていく。その瞬間、ハヤテがパブロを構えて走り出した。
「邪魔はさせませんわ!」
「振り向かず、突き進め!」
 ハヤテに気づいたエリア隅のタコゾネスたちを、ヒメカとライトが仕留める。
お願い、どうかキカイを……クローバーちゃんを止めて! 巨大な影の脇に消える背中を見つめながら、ユリカは強く祈った。

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