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12:超克

 ハヤテは細い直線の道を、全速力で駆ける。喉元で鳴る鼓動。何かがつまりそうな感覚に、息が上がっているのが嫌でも分かった。
「おっと……」
 手前に見えた角を曲がろうとしたが、一旦その場にセンプクする。その先には、ユリカたちがいるところと同じような、四角いエリアがあった。
 ハヤテは慎重にエリアの様子を窺う。キカイの裏側と思われるものがエリアの一辺を占拠していて、その周囲では何匹かのタコが規則正しく徘徊していた。行けるか……? ハヤテは生唾を飲み込むと、スプリンクラーを取り出すためにインクから出た。
 刹那、タコたちが一斉にハヤテの方を振り向く。一瞬緊張で跳ね上がりそうになったが、先に手が動いていた。
「それっ!」
 ハヤテはスプリンクラーを高く投げ上げると、パブロを引いてエリア内に突っ込んだ。タコたちは全員、スプリンクラーを見上げ、呆然としている。
「おりゃあ!!」
 その隙を逃さず、ハヤテはタコをフデ先で叩く。1番近くにいたタコトルーパーが、青色の飛沫を上げて爆散した。
「次!」
 タコが気づくより速くインクに潜り、惑わせる。そして、目の前のタテタコトルーパーが横を向いた途端、これでもかという程に青インクを浴びせた。このタコもすぐに爆発して消えた。
「3匹目……うわっ!?」
 ハヤテはすぐさま別のタコに向かおうとしたが、背後からの殺気に気づき、地面に転がる。キカイに当たり、飛び散る黒インク。センプク状態でそちらを見ると、タコスナイパーが射線をチラつかせ、辺りを警戒していた。
 もう少しだったのに……! ハヤテは飛び出したい気持ちをグッと堪えた。ハヤテのそばには、タコたちがいなくなったことで顕になった、巨大な黒いインクタンクのようなものがある。間違いない、あれがキカイのインク補給部分だ。
 しかし、目の前にはあともう1匹タコがいる上に、遠くではハヤテが最も苦手とするチャージャータイプが待ち構えている。そして当然ながら、ここには自分以外、誰もいない。どうすれば……。ハヤテは途方に暮れるばかりだった。
 ――――チャージャーを倒すときはね、相手の癖を見抜くことが重要なのよ。
「え?」
 2つめのエリアで、サンゴがハヤテにそう言ったとき、ハヤテは目を瞬かせた。
「例えば……タコスナイパーは、とても分かりやすい癖を持っているのよ」
 突然、サンゴが離れた場所にいるタコスナイパーに向かっていく。タコスナイパーはすぐさまそれに気づき、イカ形態でインク内を泳いでいるサンゴに射線を向けた。
「サンゴさん、危な――――」
 ハヤテは慌てて呼び止めようとした。タコスナイパーの追跡エイムは、完全にサンゴを捉えている。これではやられてしまうだろうと思った。しかし、サンゴはどんどん接近していく。タコスナイパーが叫び声を上げて、照準を合わせた。ハヤテは思わず、耳を塞いだ。
 次の瞬間、サンゴがヒト形態になってインク内から飛び出した。口を開き、こちらに向かって何か言っているようだったが、ハヤテには聞こえない。だが、タコスナイパーの弾は完璧に避けきっていた。そして、空中でヒーローシューターを構えると、そのまま、タコスナイパーに反撃を加えた――――。
 辺りに轟音が鳴り響き、ハヤテは我に返る。タコたちは黄緑色の目をギョロつかせてはいたが、相変わらずハヤテの存在に気づいていないようだった。
 あっちで何かあったんだ……! 焦る気持ちが、思考を阻害する。何とか、この状況を打破しなければ……。
「あ……」
 ハヤテは自分でも気づかない内に、声を漏らした。タコが自分のいるところより少し奥の方を睨んできたので、慌ててイカ足で口元を抑える。そんな中、興奮は身体中を駆け巡った。
 確証はないけど……イチかバチか、やるしかない! ハヤテは深呼吸をしながら、アタマの中を整理する。タコがゆっくりと視線を逸らしたのを見計らって、インクから顔を出した。
 タコが物凄い速さでこちらを見てきたが、パブロを構えた以上、ハヤテに分があった。タコが為す術もなく消え失せた後、揺らめく黒の射線が足元に見えた。まだ……まだだ……。額に汗が滲む。引き付けるんだ……。その時、射線が動きを止めた。
「今!」
 ハヤテは大声で叫ぶと、大きく横に飛び退いた。放たれた黒インクは、先程までハヤテのつま先があったところを通過する。これなら、行ける……! ハヤテはパブロを地面に突き立てると、タコスナイパー目がけて走り出した。
 再び飛んできた弾を、前方に飛んでかわす。足元が熱い。空気が耳元で唸っている。もっと、速く、速く……!
「これで……終わりだああああああ!!」
 スピードを維持したまま、敵の足元に滑り込む。怯んだ表情。ハヤテは死に物狂いで、パブロを突き出した。

 ユリカはその場に膝をついた。息が浅い。立ち上がるのでさえ、一苦労だ。
「もう終わり?」
 クローバーがアタマを傾けて、笑う。誰もが攻撃を渋っていたことが、今になって裏目に出ていた。
「……っ!」
サンゴが左腕を抑えながら、悔しそうな声を漏らす。ユリカたちは度重なる連戦と、先程まで動き回り続けていたこともあって、体力が限界に達していた。
「こっちのタコさんたちもみんなやられちゃったけど……これなら、クロ1人でも倒せるよ」
 クローバーがユリカに銃口を向ける。身体の中に、何か冷たいものが流れていく気がした。
「今度こそ……さようならだね!」
 クローバーが手を引き、トリガーに触れる。ユリカは歯を食いしばりながらも、ジッと相手の瞳を見据えていた。
 すると突然、地面を揺るがすような音がエリア中に轟いた。「何だ!?」どよめく声が聞こえる中、ユリカはフッと笑みを浮かべる。
「インクが…………!」
 音に驚き、辺りを見回した後、クローバーが再びユリカに向かってインク弾を放とうとした。しかし、いくら引き金を引こうが、そこから弾が発射されることはない。金属質の銃身を、1滴の黒インクが伝った。
「まさか………………」
 震える声でサンゴが呟くと、キカイの上に人影が現れた。
「お待たせしてすみません! 作戦……成功っす!」
 キカイ上で親指を突き立てているハヤテ。その右手には、巨大なスーパーショットバズーカが握られていた。
「ハヤテ君!」
 それを見た瞬間、ユリカは安堵の息を漏らす。
「随分時間がかかったみたいだけど……大丈夫だった?」
「はい、バッチリです! 裏にいたタコも、全員倒してきちゃいました!」
 ユリカの問いに、ハヤテが笑顔で答えた。
「ほんと、ハラハラさせやがって!」
 レイが口調とは裏腹に、嬉しそうな様子でハヤテを小突く。その様子を見て、皆が笑い出した。
「これでもう……あなたは戦えないわ」
 少しして、サンゴがクローバーに向き直る。クローバーは尚、キカイの前に佇んでいた。
「……一緒に、来てくれる?」
 ユリカはそう尋ねると、そっと手を差し出す。しかし、クローバーが激しく首を振った。
「絶対に、嫌!」
 クローバーが突然、手に持った何かを突き出してきた。
「それに、クロは……まだ戦える!」
 両手で構えたそれは、黒いスプラシューターのようだった。息を荒げてユリカを睨んでいるその姿を見て、ユリカは腕を下ろした。
「これ以上やっても、君は……」
 ライトの話を遮って、ユリカは口を開いた。
「分かった。じゃあ、あたしと1対1で勝負しよう」
「ユリカ……」
 サンゴが何か言いかけたが、ユリカの目を見るなり、キュッと唇を結ぶ。そして、一言「分かったわ」とだけ告げ、身を引いた。
「時間は無制限。どちらかがデスするか、降参するまで続けるよ」
 ユリカはデュアルスイーパー・ポップを持ち上げる。クローバーの瞳が一瞬、動いたような気がした。
「レディ……ゴー!」
 ユリカの掛け声で、まずクローバーが動き出した。黒インクが、銃口から放たれる。ユリカは慎重に、かつ不利な状態にならないよう、周囲を塗り進めた。
「……っ!」
 間もなくして、クローバーが前進を図った。片手にキューバンボムが握られているのを、ユリカは見逃さなかった。
「えいっ!」
クローバーがボムを投げた後、更に詰め寄ってくる。ボムはユリカを通り越し、丁度真後ろの位置に張り付いたらしい。何とかクローバーから距離を置こうとしていると、背後からアラーム音が鳴りだした。
「うわっ!?」
 ユリカは背中に軽い衝撃を受けた。途端に、クローバーが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「やった……!」
 クローバーが呟くと、トドメを刺そうと黒いスプラシューターコラボを向けてきた。しかし、ユリカは自身のインクへと潜り込む。そして、予め塗り固めておいたサイドから、クローバーに接近した。
「そんな……っ!?」
 すっかり慌てたクローバーの首元に、デュアルスイーパー・ポップを充てた。
「勝負、あったね」
 ユリカはクローバーの目を見て言う。震えたクローバーが、スプラシューターコラボを手放した。辺りにカラン、という音が鳴り響いた。
 しばらくして、クローバーがすすり泣きを漏らした。
「クロは……これと同じことをみんなとしたかっただけなのに…………それだけなのに……」
 クローバーがその場に崩折れた。
「なのに……どうしてぇ…………?」
 黒インクの上に落ちる、透明な涙。それは止まることなく、クローバーの頬を濡らした。
「……クローバーちゃん」
 ユリカはその場にしゃがむと、クローバーに話しかけた。
「今のバトルで気づいたんだ……クローバーちゃんは、本当はすごくナワバリバトルが好きで、今までもずっと頑張ってきたってこと」
 クローバーが嗚咽を漏らし始めたが、ユリカは続けた。
「さっきの戦い方も普通、初めてじゃできないよ。きっと、たくさん練習したんだよね? あたしにも教えて欲しいくらい……」
「なんで、そんなこと言うの?」
 クローバーが鋭い目をユリカに向けた。
「馬鹿にしないでよ。クロは君なんかよりもずっと下手だって知ってる……それに、もう2度と、バトルなんてできないのに。全部、無駄だったんだよ……」
 クローバーは泣き続けている。ユリカは1度、目を伏せた。
「……あたしは、またクローバーちゃんと、バトルがしたい」
 ユリカはブキを置くと、クローバーの両手を包み込む。クローバーが顔を上げた。
「そのためにも、クローバーちゃんがナワバリバトルに参加できるよう、協力させて欲しい。もしかしたら、ずっと先のことになるかもしれないけど……でも、あたしは諦めないよ」
 ユリカはそう言うと、微笑んでみせた。
「だから、クローバーちゃんも一緒に行こう? それから、みんなで色んなことを話し合おうよ。ナワバリバトルのことは勿論、食べ物とか、ファッションとか……フレンドにならなきゃ、バトルも一緒にできないからね」
 ユリカはえへへ……と照れ隠しに声を出して笑った。それを見たクローバーの目が丸くなり、涙も止まった。
「そのお話なら、私も言わなければならないことがありますわ」
 ヒメカがユリカの隣に来ると、屈んだ。
「つい先日、私が受け持っている研究グループが、黒インクを持つ方でも、インクの色を変えられるようにする薬を開発すると、発表しましたの。ですから、クローバーさんがナワバリバトルをする日も、そう遠くないかもしれませんわ」
「ヒメカちゃん、それ本当!?」
 ユリカは驚きと喜びの混じった声で聞いた。
「ええ。というのも、私がロビー前で言いかけた話がそれだったのですが……こういうことになるのであれば、予め話していれば良かったですわね」
 ヒメカがそう言うと、クローバーの瞳を覗き込んだ。
「私も、いつかクローバーさんとナワバリバトルができると思うと、楽しみで仕方ありません。クローバーさんの夢を叶えるためにも、研究にお付き合いいただくことがあるとは思いますが……そのときは、よろしくお願いしますわ」
 ヒメカの話を聞いて、クローバーが瞬きをする。
「勿論、オレたちもだよ!」
「うん。クローバーとバトルできる日が待ち遠しい」
「オレもオレも! 抜かされないように頑張るっす!」
「あなたはもう先を越されてるんじゃない?」
 サンゴの一言に、「そんな~!」と音を上げるハヤテ。それを見た皆が、声を出して笑った。
「ほんとなの? く、クロ……もう、ひとりぼっちじゃなくても、いいの……?」
 クローバーが今にも泣き出しそうになりながら、聞いてきた。
「そうだよ。だって、これからは……あたしたちが一緒だもん!」
 ユリカは再び、クローバーに笑いかけた。たちまち、クローバーの目から、大粒の涙が溢れる。
「これまで酷いことして、ご、ごめんなさい……! それと……み、みんな、ありがとう……」
 声を上げて泣くクローバーの背中を、ユリカはそっと撫でた。
「さ、これでハッピーエンドってわけだし……あたしたちは先に失礼するよ!」
「フェスの練習サボったから、きっと叱られるけんね……早く行こ、アオリちゃん」
 アオリとホタルが走り去っていく。ユリカはその背中が、暗闇に消えるまで見送った。
「あ、そうだ」
 ユリカは地面に置いてあったデュアルスイーパー・ポップを手に取ると、クローバーに差し出す。
「クローバーちゃん、ずっとこれ見てたからさ……もしかして、興味があったんじゃないかなって。良かったら、持ってみる?」
 ユリカの話を聞いて、クローバーが大きく頷いた。手に持つなり、とても嬉しそうに見回す。涙はいつの間にか消えていた。
「クロね、ブキが買えなかったから……ずっとこれを使ってたの」
 しばらく眺めた後で、クローバーが自分のスプラシューターコラボを取って言った。黒いインクが入った胴部の側面には、3つ葉を模したようなデザインのステッカーが貼られている。全体が黒っぽい色をしている他に、普通のものとは僅かにデザインも異なっているようだ。
「タコさんにもらったんだ。自分のだから、シールを付けてたんだけど……クロ以外でデコレーションしてる人、初めてだったから。すごく、イカしてたし。あとね――――」
 クローバーは熱心に語る。ユリカも真剣に聞いていた。
「ユリカ、私たちもそろそろ行きましょう。タコたちもいつ戻ってくるかわからないわ」
 ふと、サンゴが声をかけてきた。
「それもそうだね……クローバーちゃん、この話はまた後でしよっか」
「うん! あ、そうだ」
 クローバーがキョロキョロと辺りに目をやる。
「タコさんたちに、お礼を言わなきゃ……クロのこと、ずっとお世話してくれたから」
 クローバーが無邪気に言う。ユリカはサンゴを見た。
「クローバー……その、タコは……」
 サンゴが言いかけた時、周囲から奇妙な笑い声が聞こえてきた。
「何だ……?」
 ライトが目を細める。
『ヨクヤッタ、クローバー……オマエノオカゲデ、ワレワレノケイカクハセイコウモクゼンダ!』
 片言のイカ語。間違いなく、タコゾネスの声だった。話を聞いて、ユリカはクローバーを見るが、クローバーも何が何だかさっぱりという顔をしていた。
『オマエハショセンコマ……ジカンカセギデシカナカッタノダ! ソシテ、イマノワレワレニハ……イカドモガモットモニガテトスル、アノインクガアル』
「タコさん、一体何を……?」
 問いかけるクローバーの声が、震えていた。
『マダキヅカナイノカ? ワレワレハ……『クロサメノヨル』ケイカクヲジッコウスルタメダケニ、オマエをツカッタノダ』
「まさか、あの計画は実在したというの……?」
 サンゴが動揺したように言った。
『アノ『クロサメ』トカイウシュウダンモ、オマエノインクガホントウニ、イカタチニヒガイヲモタラスモノナノカヲシラベルタメニツクラセタ。ソレガオマエライカヲメツボウサセルキッカケニナルトモシラズ、オマエハナニヒトツウタガイモセズニスベテヤッテクレタ。ビョウドウナセカイナド、サイショカラウソダッタノダ』
 タコゾネスがまた笑い出す。「タコさんが、私を……?」クローバーがアタマを抱えた。
「アンタ、人をなんだと思って――――」
『オマエラトワレワレハ、コンポンテキニチガウ。ワレワレカラスレバ、オマエラハ『ヒト』デスラナイ』
 ユリカの怒りがこもった声を遮るタコゾネスの口調は、氷のように冷たかった。
『ソコデユビヲクワエテミテイロ……スデニ、チジョウニハシンガタノ『タコツボヘイキ』ヲイドウサセテアル。アトハ……フフフ…………!』
 タコゾネスの声が遠のいていく。その場に突っ立っていたユリカは、拳を震わせていた。
「みんな、すぐにハイカラシティへ戻ろう」
 ユリカはキャップの鍔に手をかけると、星空を睨みつける。
「絶対に、タコたちの思い通りにはさせない」

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