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EPILOGUE

 晴れ渡る空の下。若気溢れるイカたちが、太陽のある方向に向かって住宅街を駆けていく。
「遅刻しちゃうよー!」
「バカ、寝坊したのお前だろ!」
 情けない声で言うガールに、近くのボーイが呆れたように叫ぶ。彼が手に持ったイカスマホの画面には朝方の時刻と、真夏の日付が表示されていた。
「話してる暇があったらもっと速く走ることに集中したらどうだい?」
「「そう言うあんたが一番足遅いだろ!!」」
 やや後ろを行くボーイの方を振り返り、同時にツッコミを入れる先の二人。確かに後方のボーイはこうしている間にも、二人との間を広げていた。
「ま、まぁまぁ……あ、そこの突き当たりを右に━━━━」
 余裕そうに走るガールが、のんびりした口調で指をさす。四人がそばを通り過ぎた標識には、傷跡のようなマークが示された黒いスプレーの落書きと、それが描かれたであろう日付が落書きの真下に色濃く残っていた。
 あれから一年、か。先頭を行くボーイがイカスマホ上の年を確認する。俺たちはまだヒト型になれなかったからあまりよくは知らないけど、ここもクロサメの連中が度々彷徨いていたのは嫌でも覚えている。いつ来るか分からないテロに怯える日々から脱却しようと、子供じみた作戦を自分も含む四人で考えては、諦めたようにヘラヘラと笑っていた。悲しい出来事だったはずなのに、懐かしく感じてしまうのは今という日常があるからだろうか。
「どうしたのー? このペースじゃ一分遅れ間違いナシだけど」
「じゃあ大丈夫じゃん!」
 寝坊したガールが意気揚々と言う。
「怒ると怖いけど、時間には中々ルーズだもの……アオイ先生は!」
 なんだよ、焦って損した。ボーイはため息をつくと、徐々に速度を緩めていった。

「それで、四人揃ってのこのこと亀並のスピードでやってきたワケだな?」
 アオイは腕を組み、たった今自分の前に姿を現した小さなイカたちを見下ろしていた。
「何処が時間にルーズだよ、がっつりストップウォッチでタイム計ってるようなケチだなんて聞いてな━━━━」
「何か言ったかい」
「いえ、何も!」
 ボーイが慌てて口を慎んだ。
「はぁ……アンタら、ほんっとバカだねぇ」
 アオイはストップウォッチのヒモを回してため息を吐いた。彼女の背後には、白と黒が目立つ広大な建物がそびえ立っている。出来て間もない施設なのか、太陽の光を受けている外面に風化の跡は一つも見当たらず、清潔感が漂っていた。
「ご、ごめんなさい……私が寝坊しなければ、こんなことには━━━━」
「いや、君が朝弱いことは僕ら全員が知ってたんだ。事態が起こる前に、みんなで何か対策を取るべきだったと思う」
「そうそう、特大音の目覚まし時計を誕生日プレゼントにするとか……」
 少々不機嫌気味なアオイをよそに、目の前で今回の反省や意見を口に出すイカたち。やけに見覚えのある情景に、何時しかアオイの表情はしかめ面から微笑へと変わっていた。
「あぁもう、アタシがバカって言ったのはそう言うことじゃないんだよ」
 本来なら説教をするつもりだったが、その気も薄れてしまった。アオイはわざとらしく手を振り、四人の話を遮る。「こういう時は、如何にも頑張って来たけど結局間に合いませんでしたって感じを出せばいいだろ? ……時間にルーズな先生なら余計それで解決だ」
 アオイの言葉を聞いて三人がホッとした顔をした一方、悪態をつきかけたボーイが一人気まずそうに目を逸らした。
「まぁ他のヤツらには謝っときな。数十分とはいえ、練習時間が微妙に削れたのは確かなんだし」
 アオイはそう言うと踵を返し、後をついてくるように手で合図した。建物の自動ドアを抜けると、屋内に四人のパタパタという足音が響いた。
「アオイ先生」
「ん?」
 振り向くと、先ほど目をそらしたボーイが真剣な眼差しでアオイを見ていた。
「あの……アオイ先生は、一年前の戦いのこと、覚えてる?」
 ボーイの問いに、アオイは一つ間を置いてから頷いた。
「あぁ。……ハッキリ覚えてる」
 最初から最後まで、何もかも。
 彼らは知らない。此処にいる自分が、世間で憎まれていたクロサメの元リーダーだということを。
信頼されているからこそ、こんな風に『先生』を騙っているといたたまれない気持ちになるのだが、それも含めての罰なのだろう。
「でも……トラウマとかでは無い、かな」
 アオイはつい困ったように笑う。ボーイもそれに気づいたらしく、「そっか……」と言って俯いてしまった。
「そ、そんな辛気臭い顔すんなって! 誰かの命日とかじゃあるまいし!」
 アオイは腰に手を当て、やたら元気に声をかける。それから、すぐ左に見えたドアノブへ手をかけた。
「ほら、さっさと入った入った! もう各自で練習始めてるぞ!」
 四人の後ろから中へ入ると、賑やかな音が聞こえてくる。全面コンクリートで囲まれた広い室内では、様々な色のインクとはしゃぎ回るイカたちの笑い声が飛び交っていた。その大半は黄色いわかばTを着ており、未だブキの構え方もおぼつかないビギナーや、バトルを苦手とし、自分の腕に不安を覚えている者たちだ。
「やっと来たのね、先生待ちくたびれちゃったわ!」
 すぐ横からハキハキとした口調のガールがやって来た。彼女は他のイカたちと違い、小豆色のパーカーを着こなしている。
「あれ、アンタ……今日は非番じゃなかったか?」
「そうですよー。でも、アオイさん忙しいでしょう? さっきだってインク研究の方から帰って来たら来るように言ってほしいって伝言がありましたし」
 ガールがニコニコと笑いながら言った。
「だから、私で何か助けになれればと思いまして! みんなからしたら先生が私じゃガッカリかもですけど……」
「そんなことないよ!」
 先ほどアオイと共に部屋へ入ってきたガールが口を挟んだ。
「アオイ先生はイカす技をたくさん知っててすごいし大好きだけど……私は先生の説明も、すっごく分かりやすくて大好き!」
 キラキラとした目線で話すガール。アオイとパーカーのガールは目を合わせると、互いに頬を緩めた。
「それで、インク研究のことですけど━━━━」
「あ、そうだった!」
 アオイはイカスマホに表示された時間を見て「あっ」と声を上げる。
「た、多分大丈夫! それじゃあ後はよろしく頼んだ!」
 アオイは急ぎその場を後にし、再び静かな通路へ続く扉を開いた。

 成果はまちまち、か。後ろ手にドアを閉め、手にしたレポートを見下ろす。そこには複雑な数式やグラフが所狭しと書かれている他、ここ数日の実験による結果や考察等が何行にもわたって書き込まれていた。最初はわけが分からなかった記号や単語たちも、ここ最近ではある程度認識できるまでになった。自分が研究の主軸に立つことは到底できない話なのだが、それでも彼女との最後の約束を果たすために自分ができることには尽力しようと心に決め、それを実行している。もちろん、黒インクだけでなく他の病や障害に関する研究にも目を向けながら。
 口元に手を当て、ガラス張りの通路を歩き始める。何度かインクが外側から壁に当たり、徐々に消える様子が視界の隅に入った。
「カエデ!」
 名前を呼ばれ、彼女はようやく顔を上げる。行く先で、見慣れた二つの影が手を振っていた。
「ちょうどよかった。この後連絡しようと思ってたから」
 カエデが歩み寄るなり、ヒメリが口を開く。隣に立つオキナはこくこくと頷き、カエデに笑いかけた。
「連絡って?」
 カエデは首をかしげる。
「今からバトルついでにハイカラシティの方の様子を見に行こうと思ってさ。もしこの後空いてるなら、どうかなって」
 オキナがアタマの後ろで手を組んだ。被っているバックワードキャップの鍔が少し下がる。
「そうだねぇ……」
 カエデは眉間にしわを寄せ、今後の予定を思い返す。いかんせん研究で随分と時間が取られてしまったものだから、ビギナーたちは帰ってしまっただろう。
「アタシは構わない━━━━」
 そう言いかけたとき、右側の壁に特大のインク弾がぶち当たった。「バン!」という鼓膜が破れそうなほどの大きい音がして、三人は思わず飛び上がる。
「あ、あはは……滅茶苦茶やるなぁ……」
 オキナが苦笑しながら、ガラスの向こうにいるイカたちを見やった。中にはニヤニヤと笑う者もいたが、大抵は手を合わせてごめんなさいのポーズをしている。
「悪戯はほどほどにね!」
 ヒメリが顔の近くに手を持ってきて、大きめの声でイカたちに伝えた。彼らは頷くなどして了承のジェスチャーをすると、再びブキを構えてナワバリバトルを始めた。
「ルールのないナワバリバトル、か……」
 しばらく向こう側の様子を眺めていると、オキナが呟いた。
「みんなすごく楽しそうだね」
 ヒメリが嬉しそうに笑う。インクの広がる地面は決して二色だけには染まらず、まるでパレットの上みたいに様々な色が混ざり合っていた。カエデたちが見るそのバトルは、様々な理由で普通のバトルができないイカたちが作り上げた、おそらくセカイに二つとないナワバリバトルだ。彼らはバトルができることを喜び、また自分たちのバトルを誇りにして、今日も施設の中庭を染めていく。
「そろそろ行く?」
 オキナがカエデに聞いてきた。
「そうだな」
 カエデはゆっくりと頷き、外に広がる色とりどりの空間から目を離した。淡いオレンジがかった陽光が、カエデたちやインクを優しく照らしていた。


「よっと」
 白黒の複合施設から数駅隔てた先、カエデたちは幾度となく足を運んだその場所へと踏み出した。
「やっぱり週末は違うな……」
 電車がホームから発車した後、オキナが額に手を当てて遠くを見るような仕草をした。イカ文字で『ハイカラシティ』と書かれた看板の下、行き交うイカたちは数知れず。広場は更にイカがひしめき合い、大賑わいの状態だ。
「はやく行こう!」
 ヒメリが待ちきれないというようにカエデの腕を引く。「そんなに焦ったら転ぶぞー」カエデは軽くからかいつつ、笑顔でヒメリの後を走った。人ごみの間をすり抜け、イカスツリーの真下へ。炎天下を少し過ぎた頃合い、活動するには申し分ない天気だがまだまだ暑い時間だった。
「今日は室内のステージだといいなぁ」
 ヒメリが日陰で足を止め、顔を手で仰いだ。
「あぁ、本当に━━━━」
 カエデはそこまで言いかけて、途端に口を閉じる。イカスツリー下から見て左側、路地裏付近で屯している怪しい影。それらに囲まれているのは、今にも泣き出しそうな小さいイカたち。
 たちまち大きく口を開いた影に、イカたちがすくみあがった。下品な笑い声、蔑むような視線。周囲のイカたちも影たちを咎めるように見てはいるものの、誰一人として割って入ろうとはしない。
「アイツら━━━━!!」
 カエデはカラストンビを見せて唸り、そちらへ赴こうとした。
「待って、カエデ」
 すぐにオキナの落ち着き払った声が聞こえ、二の腕を掴まれた。
「あんなに目立った行動をしてたら、『みんな』だって黙っちゃいないよ」
 カエデは振り向き、オキナを見上げる。
「あ、あぁ……そうだった」
 しかめ面をほどき、照れくさそうに頬を掻いた時、風を切っていく姿がカエデたちの脇を通り抜けた。
「アイツらは、こういうときのためにいるんだもんな」
 彼らの背中には、呆れるほど目にした黒いエンブレムが刻まれていた。
「シロツキだ!」
 それは正義の象徴、粛清の証。周りからは歓声さえ聞こえる始末だった。
「さて、こんなところで何をしているのかな?」
 シロツキの者たちは影に問いかける。狼狽えた様子の影を横目に、怯えていたイカたちはシロツキの後ろへと回る。
「今なら見逃してやる。去れ」
「チッ……おい、行くぞ!」
 吐き捨てるように悪態をついた後、影たちは広場から慌てて出ていった。シロツキたちは互いに顔を合わせると、頷いて踵を返した。
「いやぁ、流石だね。フォーメーションから何まで作戦通り、完璧じゃないか」
「オキナさん! ヒメリさんとカエデさんまで……!?」
 通りかかったシロツキたちにオキナが声をかけると、彼らが興奮しきった声で立ち止まって返事をした。
「今日も見回り、お疲れ様です」
 ヒメリがにこっと笑い、シロツキたちを労った。とはいえ、彼らは確かにシロツキだが、『あの』シロツキではない。かつてハイカラシティを悪から救い出したと謳われるその名とエンブレムは、現在では広場や各地の治安を維持することを目的とした集団を指すものとして扱われている。そのため、他の一般イカや子供達はその姿に憧れ、賞賛の声を投げかけるのだ。ちなみにカエデたちもエンブレムを身につけているわけではないものの、彼らの上司的な存在としてそこに所属している。私服警察、といえばわかりやすいかもしれない。
「いえいえ、今日は少ない方ですから。皆さんはこれからナワバリですか?」
「あぁ。かれこれ一週間ぶりくらいだけど」
「そうでしたか! それじゃあ、目一杯楽しんで!」
 シロツキたちは手を振り、広場の方へと駆け出した。
「…………………………」
 カエデはふと、路地裏へと顔を向ける。所々に落書きされたクロサメのエンブレム。その全てに上からバツ印が書き込まれていた。
 いつだって正義の隣には悪が存在する。このセカイでは、正義のシロツキと悪のクロサメという仮説が当てはまっているのだ。実際、今でもクロサメの名を借りて暴動を起こす輩はそれなりにいて、その中には本物だったクロサメもいて。世間では「そういうことになっている」のだ。大多数はクロサメのリーダーが死んだというニュースを信じて疑わず、今いるクロサメはその残党だと思い込んでいるだろう。しかし、そのどれもが仕方のないことだとも理解している。そんな形で終焉させてしまったのは、他でもない自分なのだから。
「カエデ?」
 オキナがカエデを覗き見るようにした。
「ん、なんでもない。行こうか」
 カエデは振り返り、イカスツリーのロビーへと入っていく。二人分のクツ音が後ろをついて回った。
「あのさ」
 カエデは前を見つめたまま、二人に問うた。
「バトルの帰りに、寄りたいところがあるんだけど……いいかな」


 紅がそよ風に揺れる堤外の草と、その下を流れる川面に反射して煌めきを放つ。道路には陽炎が揺らめき、思わず息がつまるような蒸し暑さが未だイカたちを包み込んでいた。
「久しぶり」
 カエデがポツリと呟く。数多の立葵が咲くその根元に、たくさんのイカ文字が綺麗に掘られた石が置かれていた。
「アンタも…………みんなも」
 文字はそれぞれ、名前を表しているらしい。小さな石碑の上、カエデの長い影が差し掛かった。
「この頃はずっといつも通りさ。忙しいけど、充実してるっていうか━━━━」
 後頭部に片手を置き、照れ笑いをしたまま足元に話しかける。オクタグラスがのっかった黒い帯の先端が、熱のこもった風に揺れた。
 それから、カエデは色んな出来事を喋った。彼女たちが願った『現在(いま)』の話を。ビギナーたちの面倒を見て、誰かの役に立つかもしれない研究に没頭して、バトルの環境をより良くするために駆け回って……その繰り返しを。
「━━━━今日もこれからもう一つだけ、やることがあるんだ。休みなんて殆ど無いけど……辛くはない。だって、それがアタシの選んだ道だから」
 見上げた先には、赤と黒の花園。花の一つ一つが胸を張っているようで、尻込みする様子はない。

 何時だってカエデのいる場所は、沢山の少年少女とほんの少しの大人がいるだけの、安い価値観の集まりだ。

 けれども、そのチンケな集まりが街を巻き込む戦争を起こすことができるセカイなのだ。『これから』の可能性だって、きっと無限大だ。

 何回も間違って、泣いて、助けられる。なら、何回でも正して、笑って、手を伸ばそう。

 不器用なアタシたちは、そうやってセカイを作っていく。



 ……何時しか、誰かさんにそんなことを教えてもらったのさ。 




 石の周りに円を描くようにして置かれた花たちも、色とりどりに縁取っている。いずれの色彩を押しのけるでもなく、誰が引くでもなく、花弁を夕日に輝かせている。
「……そろそろ行くよ。また近いうちに来るからな」
 カエデは手を上げ、後ろに退く。小さな石碑は立葵の陰に隠れ、通りからは目視できない。きっとこれからも、彼女たちはひっそりと見守ってくれるだろう。
「悪い、ちょっと長かったかな」
「ううん、大丈夫。時間は沢山あるから」
 道の上にいたヒメリが首を横に振る。
「でも少し急いだ方がいいかも……今日はもしかしなくても話が長いんじゃないか」
 オキナがイカスマホに表示された時刻を見て言った。
「確かに、昨日の報告もあるだろうしな。じゃあ……行くか!」
  カエデはアタマに巻いたイカスカルマスクをギュッと結び直し、気合を入れる。道を半ば駆けるようにして通って行く三人の表情は何処か勇ましく、今日のような熱を帯びていた。


「ねぇ、最近流行りに流行ってる街のこと、知ってる?」
「あぁ、確かハイカラスクエア━━━━だっけ?」
「あ、それ! 私も気になってたのよ」
 ガヤガヤと騒がしい部屋の中、三人は勢いよく扉を開き、申し訳程度に設けられた壇上に上がる。眼前では百を超えるであろうイカたちがこちらに身体を向けて席についていた。
「全員いるか?」
「多分大丈夫。空いてる席の人からは連絡をもらっているし」
 ヒメリが背伸びして部屋の様子を伺いつつ、カエデに言った。
「時間は?」
「もうちょっとだけ待って。あと十秒くらい……」
 オキナがそう言い、少しだけ間を空けてから頷いた。カエデは教卓に手をつくと、口元のマイクに向けて声を出す。
「静かに。……よーし、上々だな」
 カエデはニヤッと笑い、イカたちを見渡す。
「これから、先日の防衛戦に関する報告会、及び次作戦についての討論を始める」
 カエデは手元の資料に目を落とし、話を続けた。
「まずは先日のクロサメを名乗る集団との交戦のことだけど、参加したみんなはご苦労様。既に帰投報告は受けているけど、他に何か言い忘れたことはないかい?」
 カエデは再びイカたちを見るが、誰かが手を挙げる素振りを見せることはなかった。皆、厳粛な顔つきでカエデを見上げている。精鋭された者ばかりが集まる組織とはよく言ったものだ。此処にいるイカの殆どはあの戦争を経験し、また多くの佳境をくぐり抜けてきている。これほど味方でいてくれて頼もしい存在も早々いない。
「オッケー。以降の報告は司令室へ直接行うように。それで、今後のことだけど━━━━」
 資料に書かれた内容を読み取り、カエデは僅かに顔をしかめる。
「シロツキを騙る連中について、情報が不足している。ヤツらは公にテロを起こしている訳ではないけど、現クロサメ、あるいは元クロサメの者を殺して回っているらしい。……その上、嫌な噂まであるし」
 カエデは最後の言葉をボソッと呟く。ヤツら、『真』がどうとか……まぁいっか。
「とにかく、監視班は情報収集もしておいてくれると有難い。というのも━━━━」
 カエデたちの戦いは、今も尚続いている。あの日々が生み出した新たな『クロサメ』と『シロツキ』。それはとても小さな反乱組織だが、言ってしまえばかつてのクロサメとシロツキもそんな形で始まり、やがて街を巻き込んだ。二度と同じ過ち繰り返してはいけない━━━━その意志の下、かつての敵と味方がこうして同じ部屋に集っている。
「ヤツら、何処で情報を仕入れたのか、この部屋の元クロサメすらも見破ってくる。……それで、作戦については次の通り━━━━」
「元シロツキは前線に出すべきでは? その方がリスクは最小限になると考えます」
「テメェ……戦場じゃ、誰だって命がけなんだぞ! そんな押し付けがましい態度でよくこんなところにのこのこと━━━━!!」
 カエデが話している最中、手前の席で取っ組み合いが始まった。部屋中に困惑した声や怒号がたちこめる。
「おい、会議中にケンカするバカがいるか!」
 カエデは壇上から下りると、二人を叱りつける。
「邪魔をするなら出て行ってもらうけど……さぁ、どうするんだい?」
 カエデの目を見た途端、二人の手が止まる。カエデはため息をつき、再び教卓に手を置いた。
「気を取り直して、次作戦は━━━━」
 話をしようにも、部屋内がうるさくては仕方がない。「静かに!」カエデはマイクに手をかざし鋭く言い放ったが、効果は見られない。そういえば最初の時も、こんな風に乱闘が起こりかけて会議を中止せざるを得なかったっけ。ハッキリ言ってしまえば、今でもチームワークの面で不安は拭えない。
「いい加減に━━━━━━」
 カエデがうんざりして大声を出しかけた瞬間、黒い指ぬきグローブをはめた手がカエデの方に置かれる。ハッとして振り向くと同時に、入れ替わりでその姿が前に出た。
「静粛に」
 低いが、部屋中によく響く声。すぐさまイカたちが水を打ったように静かになった。
「会議を続行する」
 カエデを止めた手が、卓上の資料に触れる。カエデたちに背を向けて立っている者は、十分すぎるほどの威厳を保っていた。

 先ほど通り、不安がないと言えばそれは違う。

 だが、未来を恐れていては何処にも行けないのもまた事実だ。

「━━━━提案を以上とする。各自詳細については今この場で説明を行う」
 カエデは傍に立ち、横顔を盗み見ると、少しだけ笑った。


 それに、それにだ。その姿を見ると、何だって乗り越えられそうな気がしてしまうのだ。






 どうしようもない絶望の中からアタシを救ってくれた、彼だから。






「シダレ」
 会議が終わり、空室となったその場で、カエデは彼の名を呼んだ。でんせつのぼうしの鍔が照明を受けて光沢を放つ。




 振り向いたボーイは桜色の瞳でカエデを見つめ、その後少しだけ微笑んでみせた。










































































































































『何故……お前が、俺を…………?』
 黒い波が彼を置いて引いていく。息がつまり、立ち上がることもままならず、カエデはしゃがんだまま手の中の感触に縋りついた。
『……勝手に死ぬなんてこと、認めない。だって、この先アタシが誰かにとって必要だって言うなら、アタシには━━━━』
 強く、強く握りしめた両手の中には、彼の右手があった。
『━━━━アタシにそのことを教えてくれた、間違ったアタシを命がけでも止めてくれたアンタがいてくれなきゃ困るんだ。だから……アンタも、必ず生きて帰ってこい』
 桜色の瞳と、黒い瞳が重なった。
『アタシには、アンタが必要なんだよ……シダレ━━━━━━!!』 

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