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EPISODE:05

 一枚の写真が、伏せられた額縁に収められている。幸せそうに笑う4人のイカ。彼らはこちらを見つめ、今までそうであったように、これからも何気ない幸福がずっと続くものだと確信していた。
 4人の中に、でんせつのぼうしを被り、ぎこちなく笑う水色のボーイと、オクタグラスをアタマにかけ、余裕たっぷりに笑う黄緑のガールがいる。2人の前には、それぞれモンゴウベレーを被る青色のガールと、バックワードキャップのミントグリーンボーイ。
今となってはその名残すら見当たらないが、彼らは間違いなく、あのときまでは『仲間』だったのだ。

 今から1年以上前。イカスツリー下で腕を組み、顔を引きつらせているボーイがいた。
「毎度のことだが……2人は一体、何時になったら来るんだ?」
「お兄ちゃんこそ、もうちょっと我慢しようよ。まだ待ち合わせ時間から1分しか経ってないのに……」
 ボーイの言葉を聞いて、モンゴウベレーを被ったガールが言った。
「遅刻は遅刻だ。第一、そういう考えをしているから試合中にもボロが出る……」
「よくもまあ言ってくれるねぇ! 本人がいるとも知らずにさ!」
 ボーイがすぐに声のした方に目を向ける。オクタグラスをかけた黄緑のガールは、イカスツリー前で仁王立ちしていた。
「ごめん、シダレ、ヒメリ……ダウニーのところ寄ってたら遅れちゃってさ! と言っても1分だけだし、説教はナシにしてくれよ、な?」
 黄緑ガールの横にいた、バックワードキャップのミントグリーンボーイが呑気にそう言った。
「少しは反省しろ、オキナ……無論、カエデもだ」
 シダレがぶっきらぼうに言った。しかし、2人はニヒヒッと笑うだけで返事はしなかった。
「み、みんな揃ったんだし、もう行こうよ」
 ヒメリが言った。また喧嘩されては困ると思ったのだろう。シダレがため息をついて、踵を返した。
「今日はガチエリアだ。作戦は……」
「そんなモン、簡単だろ? まずアタシが前に出て敵を倒す。んでもって、ほかの3人でエリアを固めるだけだ」
 シダレが言い切る前に、カエデは話を遮って話を進めた。
「……ヒメリ、このフロアへ行け。オキナはビーコンを各所に配置してから前線に上がってくるといい」
「お堅いねえ、相変わらず。ま、いっちばんノロマで楽なポジションにいるのはアンタなんだし、当然今回も1番いい成績を出せるんだろう?」
「貴様はポイントセンサーを投げるのを忘れなければそれでいい。あまり前には出るな」
 シダレがカエデに寄ると、威圧的に言い放った。カエデは「ハッ!」と言って、睨み返した。
「おい、よせよ。楽しくやろうぜ」
 オキナが慌てて間に割って入ってきた。シダレとカエデは距離を置くが、目だけはまだお互い離さずにいた。
「いいか、お前がこのチームにいるのは、実力だけは認めているだけであって……」
「ああうるさいうるさい! なんでジジイなんかにアタシが偉そうにされなきゃいけないんだろうね!!」
「2人とも、仲良くやろうよ……」
 ヒメリがうんざりしたように言う中、シダレとカエデは睨み合いを続けていた。
それからロビーへ行き、待機室に入っても、2人はまだ刺々しい態度を取っていた。カエデはシダレの顔を見るのも嫌になり、そっぽを向く。すぐ近くで、ヒメリとオキナが目を合わせてため息をついていた。「フン……」カエデは鼻を鳴らすと、腕を組んだ。
こんなチーム、大会が終わったらすぐに出て行ってやる。

――――俺たちのチームに入らないか?
 かれこれ一ヶ月前だっただろうか。イカスツリーの下、特に宛もなくブラブラしていると、突然でんせつのぼうしを被ったボーイ、シダレに声をかけられた。どうしてかと聞くと、近い内に行われるナワバリバトルの大会で共に出て欲しいのだという。
「先程の試合、実に見事だった。特にその特攻性は、今の俺たちには欠かせない力だ」
 熱心に語り尽くした後で、遂には「頼む!」とアタマを下げるシダレ。カエデは自分の後ろでサポートに徹していた彼の事が印象に残っていた上、ここまで褒められて悪い気もしなかったので、自分で良いなら……と快く引き受けた。正直、1度は誰かとチームを組んで大会に出たいという憧れもあった。
 それからチームメンバーであるヒメリとオキナを紹介され、その日はフレンドになっただけで終わった。カエデはイカスマホに登録された3人の名前を見ながら、明日から始まるチーム練習に期待を膨らませていた。
 しかし、そのチームは、カエデが想像するようなものとはあまりにもかけ離れていたのだった。
「とりあえず、これを読み込んでおけ。編成を考慮して、昨晩俺が作った作戦要項だ」
 カエデはシダレに渡されたコピー用紙の束を見て、顔から血の気が引いた。
「アンタ、まさかこの量を1日で覚えろって言うんじゃないだろうね……?」
 カエデは軽く見積もって30枚はある紙を捲りながら、遠慮がちに聞いた。中にはステージごとの各配置、あらゆる場面を想定した立ち回りなどがびっしりと書き込まれていた。
「大会まで時間がない。今日はチームの雰囲気を覚えてもらう程度で構わないが……なるべく早く、作戦をアタマに入れておいてもらいたい」
 シダレがまるで「簡単だろう?」とでも言いたげな目線を向けてきたので、カエデは横目でヒメリとオキナを見る。2人はどちらかというと同情的だった。
「俺たちは昔からこれだし、君が入ったことで作戦自体に大きな変化があるわけでも無いから平気なんだけど……」
「最初は大変かもしれません。でも、きっとやっていく内に覚えられますから……」
 必死に話しかけてくる2人を見て、今更引き返すこともできない。カエデは「アハハ……」と苦笑いをして誤魔化した。しかし、実際のバトルではそうはいかなかった。
「1コマ速い! 1度引け!」
 これで何度目だろう。カエデがいくらステージを塗って敵をキルしたところで、「ナイス!」の一言もない。それどころか、どんな動きをしてもあれは違うこれは違うとシダレに言われ続け、カエデは耳栓を何処かで買って付けようかと一瞬本気で考えた。
「お兄ちゃん、流石にカエデさんがそこまで合わせるのは無理があるよ」
「そ、そうか…………すまない」
 数戦後、待機室でヒメリがそう注意してくれなかったら、翌日は来ていなかっただろう。シダレにも悪気がないことは分かっていた。だからこそ、カエデは何とか作戦を理解して、今後に備えようとした。家に帰ってから、夜更けまで要項を読み込んだ。
「何度言ったら分かる! そこはお前のテリトリーではないだろう!」
 数日後、シダレのカエデに対する怒号は尚も続いている。ナワバリバトルも終盤に差し掛かった頃、カエデの中で何かが切れる音がした。
「で、でもナイスだったよ! 俺じゃああんな動きとてもできな……」
 オキナが振り向き、そんな言葉をかけてきた。だが、カエデを見た瞬間に口が動かなくなった。
「…………けるな……」
「か、カエデさん……?」
 ヒメリに話しかけれれたのを無視して、カエデは後ろを見ると、シダレを指差した。
「ふざけるなぁ! 一体人を何だと思ってんだ! 第一、コマとかテリトリーとか、そんな堅っ苦しいモンがあって堪るか!」
 カエデは大声で叫ぶ。シダレの眉間に皺が寄った。
「こんな自由もへったくれもないナワバリバトルなんてクソ――――」
 カエデは口をつぐんで、今度は上を見る。いつの間にか、敵イカが頭上でダイナモローラーを振り上げていた。
「――――感情的になるからだ。こちらに向かって文句を言う暇があったら、状況くらい自分で判断しておけ」
 イカスツリー下、腕を組んで仁王立ちしているシダレに、至極冷たい口調でそう言われる。カエデは思わず拳を上げそうになった。
「これだけアタマにきたのも久しぶりだよ。とりあえず、今日はもう帰らせてもらうから」
 カエデはそう言い放つと、肩をいからせて広場に出た。
「か、カエデさん!」
 広場中央に差し掛かったとき、後ろから腕を引っ張られて、カエデは横顔を向けた。見ると、ヒメリが両手でカエデの手首を掴んでいた。
「……アンタ、ヒメリって言ったか。どうしたんだ?」
 カエデは怪訝そうに聞いた。
「どうしたも何も……お兄ちゃんのことで、謝りに来たんですよ」
 ヒメリが目を伏せた。
「さっきは嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい。私も、もっとしっかりと言うべきでした」
 ヒメリが必死に話すのを、カエデは黙って聞いていた。
「でも、お兄ちゃんはカエデさんに意地悪をしたくてあんなことをしているわけじゃないことも、分かって欲しいなって……私が上手くなれたのも、お兄ちゃんのアドバイスがあったからで、それはチーム戦だと一層強く感じています。だから……カエデさんもきっと、今のチームで頑張っていれば、仲良くやっていけるんじゃないかなって。勿論、そうなるまで、私やオキナも精一杯サポートしますから……」
 ヒメリが顔を上げて、カエデを見つめてきた。その真っ直ぐな視線に、カエデは強い意志のようなものを感じた。
「そっか……ありがとな。アタシもアンタやもう1人の味方のために、もうちょっとだけ頑張ってみるよ」
 カエデはニッと笑ってみせた。ヒメリが嬉しそうに笑うのを見て、「任せな!」と胸を叩く。
「良かった……! 改めて、よろしくお願いします! それで、あの……」
 ヒメリが手首を離すと、恥ずかしそうにもじもじして、顔を逸らした。カエデは首を傾げた。
「も、もし良かったら……これからは『さん』付けではなくて、その……呼び捨てでも、良いかなって……」
 ヒメリが指を弄び始めた。アオイはきょとんとした後で、ヒメリのアタマをポンと叩いた。
「勿論だ。アタシたちは、チームだからな」
 カエデはヒメリに笑いかける。ヒメリは照れくさそうに指先で頬を掻いた。そして、若干赤らんだ顔を向けて、とても嬉しそうに笑った。
 今思うと、あの笑顔を見ていなければ、既にここにはいなかっただろう。

「突っ走るな! ポイントセンサーの牽制が先だ!」
 シダレの指示を無視して、カエデは敵陣へと潜り込む。敵シューターが飛び出してきたが、壁際に寄って弾を避けた後で、あっさりと返り討ちにした。
「だーれがアンタの言うことなんか聞くかよ!」
 カエデはシダレに向かって舌を突き出すと、敵陣へと歩を進めた。すぐに、増援と思われる敵のシューターがやってきた。
「いただき……!」
 カエデはセンプクしている自分の存在に気づいていない様子の敵に向かって、不意打ちを仕掛ける。敵がすぐにカエデの方を向くが、勝てないと思ったのだろう。腕を上げて防御の姿勢を取った。
 その瞬間、敵が突然爆発して消え失せる。カエデはまだトリガーすら引いていなかった。一体何が……? 戸惑うカエデの後ろに、大きな影が見えた。
「指示を聞かないというのであれば、強硬手段に出るまでだ」
 氷のように冷たい声。振り向くと、シダレが金網上からカエデを見下ろしていた。

 畜生……このクソジジイ!
 試合後、カエデは地団駄を踏みたい気持ちを抑えながら、シダレの前に立ちはだかった。
「アンタ、一体何の真似だ。人の邪魔して、からかおうってのか?」
 カエデはカラストンビを見せて唸った。先程の試合で、カエデは自分のキルの殆どをシダレに奪われていた。
「作戦通りに動いただけだが」
「嘘つけ! あんな動き、今まで無かった……」
「先日渡した資料を見ていれば、全て分かっていたはずだ」
 シダレがカエデに目を向ける。カエデは唇を噛んだ。
「アンタ……最初から、アタシがそれを見ないって分かってやったんだろ」
 カエデはシダレに詰め寄る。
「ま、まあまあ! 2人とも、一旦落ち着こうぜ!」
「資料なら私が持ってるから、今から見ても遅くないよ……!」
 オキナとヒメリが間に割って入る。しかし、2人はそれを押しのけた。
「文句があるなら、お前が作戦を立ててみたらどうだ」
「アンタみたいにお堅い動きを味方にさせるのかい? バカバカし過ぎてやってらんないね!」
 2人の睨み合いは続く。「いい加減に……」と誰かが呟いたが、カエデは無視した。
「なら、作戦通りに動け」
 シダレが眉をつり上げる。その一言で、カエデは目を見開いた。
「いいや……アンタに文句を言わずに済む方法がもう1つだけあるよ」
 カエデは再度シダレを睨むと、低い声で言った。
「アタシがこのチームからいなくなればいいんだろ?」
 カエデの言葉を聞いて、ヒメリとオキナが目を丸くした。
「そ、そんなのダメだよ……! なあ、シダレ?」
 オキナがシダレを見る。しかし、シダレは何も言わずに視線を逸らした。
「じゃ、決まりだ。せいぜい頑張りな」
 カエデはそれだけ言って、広場に出る。そして、1度も振り返らずにその場を去った。

 その後、カエデはブイヤベースのカンブリアームズに入った。店主の「いらっしゃいやし~!」という接客の決まり文句を無視して、試し撃ち場へと続く扉を開ける。
「あ、カエデさん!」
 中に入るなり、先客のボーイが声をかけてきた。
「やっぱりいた。調子はどうだい?」
 カエデはボーイに笑いかける。ボーイもニカッと嬉しそうな笑みを見せた。シダレたちと出会って少し日が経った頃、カエデはイカスツリー前でこのボーイに出会った。右も左も分からず戸惑っていた彼を放っておけず、こうして時折バトルの基礎を教えに来ていたのだ。
「ねぇねぇ、良かったらまた色々教えてよ。僕もカエデさんみたいにイカしたシューター使いになりたいんだ!」
「アタシは最初からそのつもりで来てるよ。使うブキは、わかばシューターでいいんだな?」
 カエデはニヤッと笑うと、わかばシューターを手にする。ボーイが目を輝かせた。
「まずはそうだな……弾のバラつきを意識してみるんだ。ほら、しっかり向けているのに何故か当たらないってことがあるだろ? アレを体感で覚えて、正確に相手に当てるようにすると、上手くいくはず……」
 カエデはボーイの方に目をやりながら、どんどん素焼き型の的を破裂させていく。ボーイがそれに習おうと的を狙うものの、やはりカエデのようにはいかなかった。
「うーん、難しいな……」
「まあ、これは実践の方が身につくしな。的に当てられないからって落ち込む必要もないさ」
 カエデはわかばシューターを回転させて真上に投げ、落ちてきたところをキャッチする。わかばシューターはぴったり元の位置に収まっていた。
「最近はあまり良い噂聞かないから、こうして試し撃ち場で練習してるんだけど……やっぱり行かなきゃダメかあ……」
 ボーイが浮かない顔で呟く。ここ数日で、初心者狩りをするイカが急増していることは、カエデの耳にも入っていたことだった。
「そうだねぇ……あ」
 カエデはわかばシューターを持ったまま、ポンと手を叩いた。
「アタシと同じ部屋に入ってみないか? それなら、例え初心者狩りに当たったとしても、アタシがコテンパンにしてやるよ」
 カエデは人差し指を立てて、そう提案した。
「で、でも、カエデさんはチームで忙しいんじゃ」
 ボーイの一言で、カエデの表情は石のように固まった。
「あ……ああ! そのことなら気にするな。ちゃんと予定空けてくれるようリーダーにもお願いするからさ!」
 気を取り直して、取り繕う。ついさっきチームを抜けたなんて言ったら、余計な心配をかけてしまうと思っての嘘だった。
「ほんと? やったあ!」
 ボーイが喜ぶ姿を見て、カエデは笑みを隠せなかった。それから少し経った後、試し撃ち場を出る頃にはチームのことなどすっかり忘れていた。
 またか……広場を出て、帰り道の川辺を歩いている時、ヒメリとオキナからの通知で埋まった画面を見て、舌打ちする。ブロックしてしまえば済む話なのだが、罪のない2人を拒んでしまうのは良くないと思う気持ちが何処かにあった。
 あのクソジジイが謝るまで、許してやんない。カエデはシダレの顔を思い出すと、舌をちょっとだけ突き出して早足になった。

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