EPISODE:14
シロツキが『救済』という選択肢を新たに導き出してから、もう1ヶ月は経ったのだろう。拠点内の様子は以前よりも若干、和気藹々としているようにも見えた。
「お兄ちゃん、これ」
「あぁ、助かる」
資料室――――のようにも見えるが、こちらは倉庫のようだ――――にて、シダレはヒメリから書類を受け取った。
「前の作戦は……どうだった?」
もらった書類を読んでいる最中、ヒメリが様子を窺うように覗き込んできた。
「芳しい……といえば嘘になる。連携も急に立て直したものが多かった」
シダレは更に「お前も皆も尽力していただろう。気にするな」と付け加えた。しかし、ヒメリの悩みは別のところにあったらしい。
「また、何人かいなくなっちゃったよね……それに、喧嘩も多いし」
ヒメリが俯いた。
「仕方あるまい。クロサメを何としてでも殲滅するという点に従った者もいる……方針変更はある意味、裏切りでもあっただろう」
シダレは書類を捲る。手探りで集めた、クロサメの団員に関する情報。真っ先に目が行くのは、備考欄だ。そこには基本的なデータにはない、個人の詳細等が表記されていた。
「しかし1方で、それを正と捉える者もいる。その行動があって、クロサメを抜けた者たちもいた。……シロツキには様々な団員がいる以上、いざこざはあっても何らおかしなことではない。……以前も、そのような話は時折噂になっていた」
シダレの話を聞いている内に、ヒメリは萎縮してしまったようだった。
「私……皆が仲良くなればって思ってるんだけど……それじゃ駄目なのかな…………」
ヒメリが小さな声で漏らす。シダレは書類から目を上げ、ヒメリを見つめた。
「……なら、お前はそれを実現できるよう努力すればいい」
再度書類に向かった時、シダレはそう言った。
「そうだけど……不安なの。今までは本当にそうだと思ってこれた。でも……みんなの様子を見ていたら…………」
ヒメリが自身のフクの裾を握り締める。シダレはそんな妹を、今まで見たことがなかった。
気まずい沈黙、紙が擦れる音。
「ヒメリ、それは――――」
ようやくシダレが口を開いた瞬間、倉庫のドアが勢いよく開かれた。
「リーダー……あっあの、お取り込み中すみません……」
シダレとヒメリを見た途端に謝りだしたのは、サファリハットを被ったボーイ――――ロロだ。
「構わん。用件は何だ」
シダレは腕を組んで問うた。
「は、はい……緊急だったので、助かります」
ロロの「緊急」という言葉に、シダレとヒメリが顔を見合わせた。
「クロサメ――――しかもそのリーダーが、宣戦布告をしてきたそうです」
オキナはいきり立っていた。アジトの通路で何人かと肩がぶつかりそうになったが、それすらも気にならないほどに。
「アオイ、いる?」
オキナは返事を聞く前に、アオイの部屋に入る。
「ノックもしないなんて珍しいな。どうした?」
アオイがいつもの余裕ぶった笑みを向けてきた。しかし今のオキナは、それにさえ苛立ちを覚えた。
「今日の作戦、何したの。皆、噂してる」
オキナの話を聞いて、アオイは目を瞬かせた。
「いやぁ、そろそろ潮時だと思ってさ。前の物資調達作戦で、準備も整ったわけだし」
「本当、なんだ」
オキナはアオイを睨みつける。アオイもそれを見かねたらしく、少々苛立ち始めたようだった。
――――リーダーがシロツキの奴らに言ったんだ……近い内、クロサメはムレでシロツキのナワバリを奪い尽くすって。挑発にしては、めちゃくちゃだったよ。
焦っているのか呆れているのか分からない様子でそう言っていたボーイのことが、アタマをよぎった。
「勝手すぎ。もっと皆のこと、考えて」
「アタシは常に、クロサメのためを思って活動してるつもりだけどね」
強がるアオイ。しかし、オキナはそれを無視してアオイに近寄る。「な、何だよ……」アオイの頬を、冷や汗が伝った。
「じゃあ、これは何?」
オキナは囁いた後、人差し指でアオイの肩を押す。途端に、アオイがその場でぐらついた。
「っ……! おい、オキナ! いい加減に……」
そのまま後ろのベッドに座り込んだアオイが噛み付くような形相をしたが、すぐに苦しそうな様子で咳き込み始めた。
「……やっぱり」
オキナの視線は相変わらず鋭いものだったが、口調は誤魔化すことができなかった。悲しい響きを聞き取ったのか、アオイも気まずそうに黙り込む。
間違いない。アオイの身体は、着実に衰弱している。でも自分が言ったところで、彼女はそれを認めようとしないだろう。見知らぬ黒いアタマのガールの姿が、脳裏に浮かんだ。
「どうして、いつも……」
オキナは途中で言葉を切る。分かっていたはずなのに、何故憤りを感じたのか。痛いのはアオイのはずなのに……何故こうも、自分の胸が痛いのか。苦しさのあまり、元々貧小な台詞でさえも、つかえてしまったらしい。
アオイは未だ口を閉じている。オキナは迷った末、無言で手を差し出した。
「……ゴメン、誰かに相談するべきだった」
手を取り立ち上がった後、アオイがオキナに言った。
「だけど、アタシはアンタやみんなを騙そうとしてたワケじゃない。もしそう見えたなら、それは誤解だ」
アオイが必死に説明してくれている。その事実だけで、オキナは安心できた。「大丈夫」。その1言で、アオイもようやく1息ついた。
「それで、アタシが何で急にそんなこと言ったかって話だけど……まぁさっきのを見たら、ある程度察しはつくだろ?」
アオイが苦笑して肩をすくめた。
「アタシはクロサメのリーダーだ……だからこの組織がある内は、先陣切って戦わなきゃ、みんなが指標を見失う可能性がある……今まではそんなこと考えもしなかったけど、アタシにはそれだけの責任があるんだって、みんなと1緒にいる間に気づいた。そのための時間も、もう殆ど残されていない」
アオイが1瞬、目を伏せる。
「それに万が一、アタシみたいに動けないヤツがこれから増えでもしたら、アタシが困るんだよ。平等なセカイは、苦しんでいる誰かの上に成り立っちゃいけないと思う。だから……アイツら全員が『もう大丈夫』って言える場所ができるまでは、アタシも精一杯のことをしていくつもりさ。今回はその1番の山場と言ってもいい」
アオイの話を、オキナは時折頷いて聞いていた。
「分かった。でも、皆に説明して。作戦のことだけでも」
「あぁ。それは約束する。あと、これも……」
オキナが首を傾げている間に、アオイは薄く汚れたメモ帳を取り出した。
「革命が成功した後、ナワバリバトルのルールとかを変えるだろ? それで、色々考えてたんだけど……アタシ、バカだからさ。それにやっぱり、コレはみんなで話し合った方がいいと思って……」
アオイが照れくさそうに頬を掻く。オキナは少々目を見開いたが、すぐに首を縦に振った。
「うん、そうしよう」
口元が緩んだように感じた。アオイが驚いたような表情を見せた後、嬉しそうに笑ったので、もしかしたらできたのかもしれない。
「行こう、皆のところに」
通路を2人で歩いている間、オキナは先のアオイの話について思考を巡らせていた。あの言い回しだと、きっと彼女は……。
だったら、自分が何としてでも守りぬく。あのブキのグリップを握った日と同じように、オキナはそう心に誓った。
「本日19時より臨時の会議を行うと、各団員に伝えてくれ」
シダレは報告へやってきたロロにそう告げる。その後すぐに部屋のドアが閉ざされた。
「お兄ちゃん、今のって……」
「おそらく、クロサメ側は決着をつけにくる……しかし、何故ここまで急なのかは、俺にも分からない」
それとも、その予兆に気づくことができなかっただけか……シダレは卓上に拳を置いた。
「もう……迷っている暇はないんだね」
ヒメリが片袖を握る。何処と無く寒いこの部屋は、言葉の間に垣間見える消極的な気持ちを、何倍にも膨れ上がらせているようだった。今のヒメリは、それに押しつぶされそうになっているのだろう。少なくともシダレには、そう見えた。
「先の話だが……お前が不安がるのも無理はない。寧ろ皆同じ面持ちでいるだろう……俺もそうだ」
ヒメリが顔を上げ、シダレを見つめてきた。
「何かに対して決定を下すことは大きな前進になるかもしれん。しかし1方で、失うものも少なからずある。全てを失わないようにするのは……はっきり言えば絵空事であるし、叶わないと分かった時に、もっと深い悲しみを味わうことになるかもしれん」
シダレはヒメリと視線を合わせた。
「だが、最も恐れるべきなのは……叶わないと悟った故に、何も求めなくなることだ。人は追求をすることで、初めてその先へ行くことができる。それに、今は仲間がいる……お前と同じことを願う者もいるはずだ。彼らと協力することも、忘れるな。何故なら――――」
「『攻略において、常に1で立ち向かうことは不可能に等しい』」
ヒメリがそう言った後、シダレに向かって悪戯っぽく笑った。
「お兄ちゃん、自分の本はちゃんと閉じておかなきゃ」
シダレは思わず目を逸らした。「勝手に人の本を盗み見るんじゃない」と言ったが、ヒメリは「だって、その文だけ線が引かれてたんだもの」とクスクスと笑うだけだった。
「でも、お兄ちゃんの言いたいことってそれでしょ? 私も途中で気づいて、やっと分かったの」
ヒメリが微笑を向けてきた。
「今までは自分1人じゃ何もできないって、諦めてたけれど……それが当たり前なんだって。それよりも、私にはお兄ちゃんやみんながいるってことが何より大切で、誰かが1緒にいてくれれば、どんなに苦しいことがあっても大丈夫だって思える。……それに気づけたのも、やっぱりお兄ちゃんのおかげだった」
ヒメリがシダレの手に触れる。
「私、頑張ってみる。みんなが笑っていられるようなセカイがどんなものかはまだ見当もつかないけど……思えるなら、何処かにあるはずだから」
ヒメリが両手でシダレの手を握る1方で、シダレはヒメリのアタマを撫でた。
「そうか……なら俺も、お前の手助けをしなければな。兄としても」
ヒメリが小さく頷く。
「それとね、今度は私もお兄ちゃんのことを助けたい。何だかんだ言って、いつも1人で抱え込んじゃうのは、お兄ちゃんの方だし」
ふと、シダレの手が止まった。
「カエデも、オキナも、クロサメの人たちのことも、きっと大丈夫。だって、昔はあんなに仲が良かったんだもの。……忘れようとしても忘れられなかったなんて、悲しいことはもう言わないで」
ヒメリがシダレの手を包み込んだ。
「お前は、優しい子だ」
今度はヒメリの手に触れる。今のシダレには、それしか言うことができなかった。しかし、兄妹にとってはそれだけでよかったのだ。
「私、もう行くね。お兄ちゃんもたまには休憩してね」
ヒメリが手を解き、ドアの方へと歩いていく。ドアノブに手を掛けてから、もう1度シダレに笑いかけてきた。その後部屋を出ていったのを確認してから、シダレは机上の書類に目を落とす。
「あの子も随分と変わったものだな」
漠然と文字を見つめたまま、小さく呟いた。壁にもたれ、その場に座る。
シロツキには様々な意志がある1方で、クロサメは彼ら自身の意志が1つだけの理想だと考えているのだろうか。だとすれば、また1つ何かが気づかぬ内に踏み躙られる。
シダレはため息を漏らした。だとすれば、如何にして彼女たちにそれを知らせ、止めるべきか。
このままであれば、彼女たちの向かう先は間違いなく────。
「『平等』も『救済』も、口で言うのであれば簡単なことだ」
そう。それは承知している。だからこそ、今こうして、データの収集を行っているのだ。何がクロサメの者たちを苦しめているのかさえ理解できればと考えていた。しかしながら、その正体が垣間見えたところで、自身の中ではどうも納得が行かない。それが「平等」というのなら、おそらくクロサメ内にもいるであろう「該当しない者」はどうなる?
いや、少々自己価値観を含み過ぎだ。シダレは未だにそのような考え方をする自分に半ば腹を立てつつ、書類を見やる。俺もある意味求め過ぎていた。まずは全てを終わらせなければ。そして救うことを選択し、その先の解が自身にとって最悪のものだったとしても……今度こそ、真正面から向き合わなければならないのだ。
ずっと昔のことが、アタマに思い浮かぶ。
まさか、こんなことになるなんて……。
泣き顔の見下ろす先には、インクに塗れた手。
気にしないで。大丈夫だから。
何時しかその決まり文句さえ、億劫になっている。
コソコソするくらいなら、やめちまえばいいのに。
後ろ指を指されても、気づかないふりをした。
いいんだ。これならきっと、誰も気づかない。
────あなたはナワバリバトルをやってはいけないの……!
「それは、俺が……己が、決めることだ」
誰かに決めさせる必要も、義理もない。しかし、解がそれを否定しないという保証もない。あくまで、1つの例えではあるが。
部屋は物音1つ立てず、書類は整然と棚に並べられている。シダレは左手を強く握った。その手の甲には切り裂かれたような跡が、僅かに浮き上がった。
その日が訪れるまでの2週間は、恐ろしいほどに短く感じた。
「リーダー、各所にて大勢のクロサメの者たちが確認されたようです」
「分かった。こちらも直ちに迎え撃つ」
シダレは報告に来た団員にそう言った後、ハイドラントを持ち上げた。
「全員、早急に配置場所へ。準備が出来次第、迎撃、防衛せよ。また、負傷者は組織を問わず保護するように」
無線のイヤホンマイクで、組織全体に指示を伝える。返答の声から、彼らの闘志が伺えた。
「長期戦となるのは必至故、各自で身体や精神面の管理を行うよう。何か異変を感じたなら、すぐに戦線から離脱せよ。また、基本的な作戦は予め指示した通りだが、場合によっては変更してもらって構わない」
デカラインの拠点からは、黒い影は目視できない。しかし、遠くの方で叫び声がしたように思えた。
「我らはシロツキ……今こそ、全てを救い、取り戻すために!!」
シダレは手を前に出し、出撃の合図を送る。団員が同一で身につけているエンブレムが、陽光に輝いた。
きっとこれが、最初で最後になる。シダレはただまっすぐに進んだ。その先に、答えがあると信じて。
「アタシは1度しくじった。けど、今度は違う」
1方、アオイは黒いムレの先頭に立っていた。
「次こそ、息の根を止めてやるよ……クソジジイも、アンタに従うヤツらも、このセカイには必要ない」
この日のために調整してきた。身体のことは、問題ないはずだ。
「行くぞ……クロサメの力を、見せつけてやりな!!」
その声を合図に、黒い影が、宙を舞うように飛んでいく。アオイはデカライン高架下の方角へと走り出した。結末を、自身の手で掴むために。