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EPISODE:15

『クロサメ団員の襲来を確認! シロツキ団員、各自応戦せよ!』
無線の小型通信機は、ひっきりなしに報告が飛び交う。ヒメリには半分が聞き取れて良い方だ。しかし、それも大した問題ではない。
『E班、第1作戦を開始。B、K班は各自近辺のエリアへ応援に向かえ』
団員たちが慌てふためく中、ひどく落ち着いた声で話すのは、兄……いいや、今はシロツキのリーダーであるシダレ。
「B班はA班の元へ行くのがベストでは……?」
『いや、それは避けろ。クロサメはこちらの戦力を一点に集中させ、その間に手薄なリスポーンデバイスを乗っ取りにくるはずだ……個人戦では明らかにこちらが不利故の作戦だろう。ヒラメが丘団地周辺へ回ってくれ』
前の時は、理由も説明も無しに命令していたような気がした。でも、今は違う……しっかりと相手に納得が行くまで話しているその姿は、何だか懐かしさを覚えた。
「ヒメリ」
無線機とは別に用意していたワイヤレスイヤホンから、今度は自身の名を呼ぶ声がする。
「……頼んだ」
「うん、分かってる」
ヒメリは相手に見えもしないのに頷くと、ゆっくり歩き始める。周囲には誰1人としていなかった。

────私が単独で、敵リーダーを引きつけておきます。
大型作戦の会議中、ヒメリは自らそう進言した。
「駄目だ。危険過ぎる」
当然、シダレに却下された。しかしヒメリにとっては、それも想定の内だった。
「今この組織が目的としていることは、クロサメの『救済』です。ということは、1人でも多くのクロサメ団員を救わなければならない……その点が明確になっていながら、作戦開始直後にリーダー同士がぶつかることは、かえって不都合だと思うんです」
ヒメリもクロサメ団員たちのことは書類である程度見てきた。中には実力差による非人道的な扱いで革命を望んだ者もいる。そんな人たちはきっと、心の底では黒インクによって得た力で相手を潰すことも、シロツキの誰かによって理解もないまま倒されることも同じで、結局は苦しいことなのではないのかと思ったのだ。そうさせないためにも、こちらがそれを知った上で行動していることを、何かしらの形で伝える猶予がいる。
「私たちには時間が必要です。それも、本当に沢山の。リーダー同士が戦えば、それも失われてしまう可能性が高い……そうなれば、またお互いに傷つけ合うだけになってしまいます」
会議室はしん、と静まり返っている。今更大勢の視線を感じて、ヒメリは目のやり場に困った。
「えっと……また、相手のリーダーを止めるためだけに編成を組むのも、シロツキ全体の負担になると思っています。勿論、団員たちが一斉にかかっても倒すことは困難ですし、私1人なんかでは到底敵いません……ですから、あくまで時間を稼ぐために行きます。それが私の得意なことでもありますし……」
ヒメリは尻すぼみに話を終わらせた。周囲がぼそぼそと話し合いを始める。
「仮に相手のリーダーが単独行動をしていなかったらどうするんだ?」
「そ、それは……多分、大丈夫です…………」
何が大丈夫なのかは自身でも皆目検討がつかなかったが、そう言うほかなかった。しかし、団員たちは首を傾げている。これでは、賛成を得られるわけがない。
やっぱり、私じゃ…………と、諦めかけた時だった。隣でシダレが立ち上がったのは。
「今の話では、完全に納得することはできない」
シダレが言い放った途端、部屋がまたしても沈黙に包まれる。ヒメリは小さく項垂れた。
「しかし……目的を達成するための行動理由については、一理あるようにも思える。我々がクロサメの者たちを救うには、正直たった数分、いや数日であろうとも、全くと言っていい程足りない。一方、時間が多いに越したことはないというのも事実だ」
思いがけない言葉を聞き、ヒメリは咄嗟にシダレの方を見た。
「そこで、以下の作戦を提案する。内容は────」
シダレは相変わらず、正面に顔を向けている。ヒメリは、自身の作戦がシダレの立てていた作戦とはまるでかけ離れているものだろうと分かっていた。だからこそ、例え兄や他のイカたちに反対されようとも、遂行する覚悟でいた。ところが今や、それとは正反対のことが目の前で起こっている。ヒメリは呆然とするばかりであった。
最終的に、作戦は可決された。団員たちが解散した後、ヒメリは聞かずにはいられなかった。どうして、この作戦をやらせてくれるのかと。
「先も言っただろう、理にかなっている点があると考えただけだ」
シダレはそれしか言わなかった。隠し事をしているのは明白だ。それでも、ヒメリは問い続けることはしなかった。その後シダレがふとした時に見せた横顔は、何かに苦しんでいるようにも見えたのだ。
「……必ず、生き延びろ」
去り際に聞いた声は、懇願するようでもあった。

ヒメリは報告を聞きながら、インクの中を塗り進んでいく。暫く行った後、何処かで叫び声が聞こえたような気がした。
『相手リーダーはデカライン高架下の方向へ進撃中。どうやら複数の少数編成による、多方からの畳み掛けを狙っているようです』
「その方が好都合ですから、問題ありません」
今度はヒメリの目にも、黒い影が映る。
「……皆さん、お願いします」
ヒメリは通信機を口元まで持ってくると、小さく呟いた。
「シロツキの奴らだ……! 追うぞ! 」
すぐ近くで、クロサメのイカと思われる声がした。一方、ヒメリは彼らに背を向け、インク内を単身で泳いでいく。
『ヒメリさん、その角を曲がった先に相手リーダー部隊がいます……私たちが他の人たちを別の場所へ誘導しますから、その内に……!』
ヒメリは頷くと、目の前の壁を塗り、高台へと上る。そこから先へ行き、見下ろした道路には……黒と水色が混じり合う戦場があった。
1度、深呼吸をする。怖くないと言ったら嘘になるだろう。相手は本当に殺す気で来るかもしれない。しかし、この条件は誰にも当てはまる。それどころか、私はずっと守られてきていた。今度は私が兄やみんなを助けなければならない。クロサメを救う、そのために。
「カエデ……私は…………」
シロツキの1人として。

そして、「友達」の1人として、あなたに立ち向かいます。

飛び降りた勢いに任せ、イカスカルマスクのガールに展開したカーボンローラーを振り落とす。
「まさか、アンタが来るとはな……!」
寸前でかわした相手の目が細くなる。マスクの下では、笑みがこぼれていることが容易に想像できた。
「これ以上はあなたの好きにやらせません……アオイさん」
カーボンローラーを構え、正面から睨む。あの状況からこちらのキルを狙おうとブキを向けてきた点、やはり一筋縄ではいかない。一瞬でも油断すれば、間違いなくやられる。
「接近戦でアタシに勝つなんて……ビビリなアンタには無理だろうけどね」
「面白いことを言いますね」
ヒメリはわざと徴発的な態度を取る。周囲の怒号や弾を撃ち合う音が、段々と遠のいていくのが分かった。
「私は撃ち合い『しか』取り柄がないことくらい、あなたも知っているでしょう?」
それを聞いて、アオイが顎を引く。既にこの場は静まり返っていた。
「せいぜい粋がってな……すぐに撃ち抜いてやる」
すかさず、アオイが動き出した。ヒメリは片手にクイックボムを握りしめると、牽制するようにアオイの目の前へ投げ込んだ。

『ヒメリさんが相手リーダーと接触したようです。作戦は予定通り遂行しています』
「……分かった。このまま他の団員たちを2人から引き離すよう、誘導してくれ」
シダレは連絡を終えてから、長く息を吐く。
遂に、始まってしまった。出来ることなら、ヒメリにこのような重荷を背負わせるようなことは避けたかった。変わり果てたカエデ……否、アオイと戦い、心身共に傷ついて欲しくなかった。しかし今の自分に、彼女は救えないと言うのも事実だ。何一つ理解してやることも、知ろうともできなかったのだから。そんな中、彼女の親友であったヒメリに戦う意思があることを、あの会議中で知った。それに、必死に作戦を説明している姿……。あの子は、確実に前へ進もうとしている。泣き続けていたあの日のヒメリは、そこにはいなかった。シダレには、ヒメリを止める理由も、必要性も見当たらなかった。
妹は自分とは違う。余程のことが無い限りは……死に至ることもないだろう。だが、それでも何かしらのリスクはある。だとすれば、自分は一刻も早く、この戦いの最中で彼女を救う手立てを見つけなければならない。彼女は何で苦しみ、革命を起こそうと決めたのか。それを知らなければならない。それも彼女からではなく、他の誰かから聞くほかないだろう。その機会はとうの昔に潰えてしまったのだから。
そして勿論のこと、シロツキのリーダーとして、彼女のことにばかり目を向けているわけにもいかなかった。
「来るな……シロツキの化け物!」
目の前で腰を抜かしている黒いアタマのボーイは、腕にクロサメのエンブレムが刻まれている。
「貴様は……実力差を恐れ、他人を化け物呼ばわりすることで逃げている」
シダレはハイドラントのトリガーから手を離し、ひざ立ちの状態でその団員を見下ろした。
「今は黒インクによってそれを誤魔化しているかもしれん。だが……それで平等にはなれない」
「黙れ! テメェに何が────」
もう何度も、同じような言葉を聞いた。それでも、シダレはあの日から、手を差し出すことを止めなかった。
「俺の事はどう思おうが自由だ。しかし……黒インクを使ったからと言って、必ず強くなれるわけではない。逆に、使わないからと言って強くなれないわけでもない。結局は、己次第だ」
シダレは遂に、ハイドラントから手を離す。相手もそれを見て驚いたのか、目を見開いた。
「シロツキは今、かつてのナワバリバトルの問題点を洗い出し、取り戻すことを目標としながらも、環境の改善案もお互いに提案し合っている。そうなればお前もきっと……」
ボーイが徐々に手を伸ばしていく。あともう少し…………。
不意に、煌めくものが視界の隅に見えた。
電光石火、シダレは即座に後ろへ飛び退く。たちまち、横側から飛んできた鋭く黒いインク弾が、右腕を掠めた。
焼けるような感覚のする右手首付近を見やると、案の定小さく裂けた皮膚から、水色のインクが滲み出していた。すかさずハイドラントを握り、弾の飛んできた方向へ銃口を向ける。
「お疲れ様。早く、あっち行って」
しかし、狙撃手は既にすぐ側に来ていた。シダレが手を差し出していたイカを半ば無理やり立たせ、突き放すような態度で話しかけている。
「で、でも……オキナさん…………」
ボーイが困惑したような表情でオキナを見た。しかし、オキナがそちらに目を向けることはない。
「アオイ、裏切った奴、ここにいらない」
「そんなつもりじゃ……!」
「行け。失せろ」
オキナの低い声と眼光に臆したらしいボーイは、即座にスーパージャンプをしてその場から離脱した。
「……あんたも、失せるよ」
オキナが金属質の細長いブキ────リッターを持ち、シダレにそう告げた。
「どうかな」
シダレはハイドラントを構える。
「クロサメ幹部と接触。このまま応戦する……各自、予定通り作戦を実行せよ」
指示を出している間、オキナは微動だせず、こちらを見ていた。
「行かせない。シロツキも、あんたも、ここで終わり」
「悪いが、俺もここで終わるつもりはない」
長い沈黙の後、双方が後方へ引く。チャージの甲高い音が、不協和音となって響く。

刹那、重い銃声が辺りに轟いた。

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