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EPISODE:16

紅く染まった夕日が遠くのビルの狭間へ落ちていく頃。荒廃した土地で、2人はブキを構え合う。
「チッ……しつこいんだよ、アンタ」
アオイは荒い呼吸を整えつつ、傍に転がっている破損した細いパイプを脚で押し返した。割れた先端には、紅い光沢を放つ黒インクがこびりついており、それはアオイの目の前にも広がっていた。
「しつこくて、結構です」
相手のヒメリも、同じように息が上がっていた。固い砂の地面上には、黒の他に水色が溜まっている。小さな戦場は既に、その大半が2色のインクで覆われていた。
「へぇ。ビビリが随分と言うようになったもんだ」
アオイはボールドマーカーネオを下ろし、肩を竦めた。同時に、マスクの下で嘲笑する。一方で、ヒメリがカーボンローラーを胸元に引き寄せた。
「いきます……!」
その言葉を合図に、ヒメリが飛び出してくる。すかさず後ろへ飛び退きブキを構えるが、ヒメリも既に次の一手を繰り出そうとしていた。
「やぁっ!!」
あまり上に跳ばなくて正解だった。思わずニヤッと笑う。
「ガラ空きだ」
アオイは右側に回り込むと、ヒメリのアタマに向かってブキを突き出す。今度こそ確実にしとめてやった、と思った瞬間。ターゲットが視界の端に消えた。
「クソッ……!」
アオイは思わず舌打ちする。振り向いた先にいるヒメリが反撃することはなく、寧ろ距離を置くように下がっていった。先ほどから何度も同じようなやり取りの繰り返しだ。不利にも感じないが、かといって有利でもない。しかし、相手がわざとそうしていることも明白だった。
「ウザいったらない! いい加減こっちも飽きてきたよ!!」
アオイはわざと声を張り上げる。こうなったら、こっちも遊んでやろうじゃないか。
「こちらとしてはそれでも構いませんので」
射程外から、ヒメリがこちらを見て言った。
「そういうとこまで、クソジジイみたいだな」
アオイはわざとブキを下ろし、目を細めた。
「兄妹は似るもんだねぇ……クソジジイも最初から、ほんとにしつこかった。何度も何度もアタシの前に現れては、邪魔の繰り返し。今回こそ撒いてやったと思っていたが……オマケの方がやってくるとは」
ヒメリがキュッと唇を結ぶのが見える。思った通りの反応。アオイは自身の口角が上がっていくのが分かった。
「けど、結局はオマケだ。アンタじゃアタシは────」
「邪魔なんかじゃ、ありません」
アオイはヒメリを見た後、目を見開く。その表情には苦渋や怒りの面影は、一切無かった。
「確かに、私たちは今まであなたたちの活動を妨害、阻止することを目的としていました。でも、今は違います。……シロツキは過ちや思想の違いを認めた上で、あなたたちとも向き合おうとしています」
ヒメリがカーボンローラーを下ろし、塗装部分を地面につける。
「私もその1人です。……残念ながらアオイさん、私はあなたのことを存じ上げません。でも、あなたによく似た人を知っている。その人はかつて言いました。『ハイカラシティを出て行った人たちに、ナワバリバトルは楽しいものだと伝えたい』と。次の日に、その人は私の前からいなくなってしまった。そして、今度はあなたが『平等なセカイを作るため』に私の前に現れました」
アオイはもう笑ってはいなかった。一方で、ヒメリが微笑む。
「私の過ちは、その人に最後まで手を伸ばし続けられなかったこと。だから、次は間違えない。……その人も、あなたも、同じ考えを持っていると私は思います。だとすれば、私はその願いを、正しい方法で一緒に叶えたいんです。でも、そのためには……迷い暴れるあなたたちを、苦しみから救わなければなりません。それを邪魔だと言うのなら、あなたは憶測を見誤っている。それは革命の思想ではなく、もっと別の……そう、復讐や殺戮といった、悲しみの連鎖を生み出すものではないでしょうか」
ああ、虫酸が走る話だ。アタシたちのことを分かりもしないヤツが、また何かほざいている。
「できることなら、私もあなたを救いたかった。けれど、最後の問題────どうしてそんなに強くて、フェアを望んだあなたが黒インクを使うようになったのかが、分からなかった」
ヒメリがこみ上げるものを抑えるように話している。そんな姿をよそにアオイはダイオウイカとなり、ヒメリに飛びかかろうとした。その口、2度と開けないようにしてやる。
「友達も助けられない私は、あなたのことを知っているなんて言えないよ。でもね…………」
突如、ヒメリの持っているカーボンローラーが、渦巻く水色のインクを纏った。
「時間稼ぎとは言っても、本当は私もあなたを救うことを諦めたくなかったんだと思うの」
アオイの眼前に、スーパーショットが現れる。ダイオウイカ故、有効ではないとアタマは言う。しかし、鼓動は身体を強く打った。
「ねぇ、カエデ……私って、最低だよね。だって、手を伸ばしたいって言ったはずなのに、臆病なせいで、こうしてあなたを遠ざけようとしてるんだもの」
インク飛沫の中に、微笑を見た。桜色の目から、透明な涙が溢れている、そんな微笑を。
突然、喉元に鋭いものが引っかかるような感覚がアオイに襲いかかる。苦しい、のか?
「何だよ、ソレ」
ヒメリの発した言葉、表情は、アオイにとって信じがたいものだった。

信じてはいけないと思った。

「……ふざけるな」
『救済』なんて、『報復』を謳うヤツらの建前に決まっている。
オマエらに何もしてもらう必要なんてない。
喉元にあるモノを砕くように、唸り始める。

「とっとと潰れろ」
ダイオウイカのまま、再び突撃を試みる。
本当に邪魔でしかないアンタたちなんか。
アンタなんか……。

インクではないドロッとした何かが、胸のあたりに流れ込むような気がした。


「無駄」
低い声で呟くと、相手が若干歯を食いしばった。
コンクリートの地面に散らばるガラス片が、紅い日の光を反射している。オキナは広い車道の坂道上から、坂の手前にいるシダレを見下ろした。
「3Kスコープは索敵の相殺が目的か……」
シダレがハイドラントを唸らせたまま言う。両者の周囲では、半透明の黒い帯────スーパーセンサーが弧を描いていた。
「シロツキ、連携。無かったら、クロサメ、勝てる」
オキナも3Kスコープを構え、牽制する。
「……勝つ、か」
シダレが独り言を発すると、チャージしていたインク弾を撃ち放ってきた。オキナは素早く身を引き、相手の射程圏外に逃れる。狙撃しようとしたが、坂によって射線が遮られてしまうことに気づき、再度シダレを見下ろせる位置まで前進した。
「総員、一時守備体勢を。迂闊にやられるような真似は避けろ」
シダレが無線越しに指示を仰いでいる。お互いのスーパーセンサーは未だ標的にまとわりついて離れない。相手がスペシャルの効果を継続させるために、計算尽くで味方に使用させることはオキナも知っていた。だからこそ、クロサメ側もほぼ同様のタイミングで同じことをさせるように予め知らせていたのだ。
「全部、知ってる」
あんたの作戦、戦い方、癖。嫌でもアタマが覚えている。
「それは正解と言えるが、そうでもないとも言える」
シダレがそう言うなり、前傾姿勢を取る。オキナも3Kスコープを右肩に置き、狙いを定めようとした。しかし、ひとたびスコープ内を覗くと、そこに人影はなかった
「少々野暮かつ、単純な戦略ではあるが……遠距離形のブキ同士では、果たしてどうだろうな」
自身のチャージ音とは別に、エンジンが動いているような低い音が響いてくる。咄嗟に暗くなったスコープから目を離すと、目の前で金色の銃口が紅い光を纏いつつ、高速で回転しているのが見えた。
「…………!」
オキナは即座に隠し持っていたクイックボムを眼前のブキに押し付ける。パシャッ。黒い水風船は破裂すると同時に弾性力を生み出し、互いを押しのけながら中の真っ黒なインクを撒き散らして間を隔てた。
「これで、終わり?」
オキナは坂の方へと後退していくシダレに向かって、追い討ちをかけるように話しかける。しかし、自身の息が上がっていることを誤魔化すことはできなかった。
「……いいや。寧ろ、ここからだ」
シダレが坂を下った後、オキナを見上げて言った。
「今度は、やらせない」
二度の失敗は許されない。何故だか昔からそう思ってきたのだが、詳しいことは全く覚えていなかった。
「そうだな。お前は……そういう奴だった」
シダレが目を細める。何でもないはずなのに、オキナにはそれが忌まわしく感じられた。
「消えろ」
オキナは先手を打ち、シダレの攻撃を抑えようとした。水色だらけの地面に、1本の黒い線が引かれる。
「……気がかりなことがある」
黒線が切れた先に1つ、こちらを覗く桜色の瞳。
「お前たちの革命というのは、何なのだ」
クイックボムを準備する間に、シダレが問うてきた。かまわず、前へと飛び出す。
「シロツキを倒し、それで本当に何もかもが丸く収まると言うのか」
坂の下目掛けて勢いよく投げつけたクイックボムは、シダレの持つハイドラントの銃身によって、いとも簡単に弾かれた。
「シロツキ、邪魔。それだけ」
「それはシロツキが以前のナワバリバトルを維持したまま、新しいルールやシステムを再構築しようとしていると知っていてもか」
シダレがチャージを始め、話を続ける。
「シロツキがやろうとしていることも、そういう意味では革命だ。黒インクを使わない方向で、今までの在り方を是正する。そう説得しても尚、クロサメは黒インクに拘る。彼女は……危険だと分かっていて、そのインクを味方に使わせ続ける。その意味は何だ」
それを聞いた途端、オキナは3Kスコープをシダレに向け放った。シダレがすかさず、電柱の裏に回り込む。
「……何が、言いたい」
カラストンビを見せ、威嚇するように言った。
「黒インクの存在を強く否定はしない。しかし、生命を危機に陥れる代物なのは確かだ。それを何より理解しているのは、他でもないはず」
シダレが再び車道に姿を見せると、ハイドラントから片手を離す。
「俺が知りたいのは……彼女が何故それを手にし、革命をしようとしたかの経緯だ。その覚悟は、思想は、何処で何時生まれた。お前なら、それを知っているのでは────」
「もういい」
下らない戯言だ。オキナは3Kスコープを右手で持つと、射線をシダレの額に向けた。
「話すこと、1つもない」
耳元で甲高いチャージ音が鳴る。シダレはチャージすらしていなかった。
「オキナ、お前なら冷静になれば分かるはずだ。最初から、何方かが勝ったところで終わることなどありえなかった。いいや……こういった捻れは、何時においても存在するものなのかしれん。何にせよ、双方が一度止まらなければ────」
「もういいって……言ってるだろ」
あんたの声が、言葉が、耳障りで仕方ない。
「いくら話をしても、分からせようとしても……どうせまた、あんたは前と同じように殺すんだ」
抑えつけていた感情と言葉が溢れて、滲み出ていく。あの日置いてきたはずのそれは、再来によってもたらされた。
「一体何の話を……」
「あんたがオレを殺しただろう!」
叫び、憎悪の目を凝らすと、『敵』の驚きと恐れが入り混じった表情が見えた。外に出ることができずに胸を圧迫し始めた黒いものは『敵』を認知すると、その対象としての新たな信号を発する。
「それは…………」
シダレの頬を汗が伝う。ああ、思い出させてやるさ。そして同じように苦しみもがけばいい。
「あんたはそういう奴だ。救済だとか言って、平和を謳う。それから黒インクからの救済を盾にアオイやみんなを……クロサメを、殺す」
「……! 違う! 救済は本当に────」
「嘘をつくな!!」
シダレに向かって吠える。初めて一緒に救おうと手を取り、それから突然彼女を殺すと言い出したあんたが……どれだけ憎かったか。
今まで信じていたあんたのオレに対する仕打ちに、どれだけ狂わされ、苦しめられたか。
「あんたがアオイたちを殺す前に……オレが、あんたを殺してやる」
誰も苦しませたくないのなら、やり返せ。かつての彼女がそうしたように。
でなければ全員もろとも、同様にやられるだけだ。
「殺してやる!!」
その声が轟くと、シダレが目を見開く。何か話しかけようとしているように口元が動くが、様々な感情が縛り付けるアタマには、耳を伝うはずの言の葉も届かない。3Kスコープのトリガーから指を放し、身体中に鈍い音が響く。オキナの脳内では、ある日の記憶が甦りつつあった。

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